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知覧武家屋敷群から「旧陸軍知覧飛行場(知覧特攻平和会館)」に。

陸軍知覧飛行場
昭和十七年、大刀洗陸軍飛行学校の知覧分教場として開設され、
少年飛行兵や特別操縦見習士官が訓練を重ねたが、戦局の悪化に伴い
昭和二十年、陸軍特攻基地となり多くの特攻隊員が出撃しました。


特攻像「とこしえに」の由来
碑文
特攻機は、遂に帰って来ませんでした。国を思い、父母を思い、永遠の平和を願いながら、勇士は征ったにちがいありません。
特攻像「とこしえに」は、全国の心ある人々によって建てられました。
み霊のとこしえに安らかならんことを祈りつつ
りりしい姿を永久に伝えたい心をこめて
あゝ
開聞の南に消えた勇士よ


先ずは、知覧町護國神社に拝礼いたします。



知覧護國神社は、明治二年、戊辰の役の戦没者を祀ったのが始りで、
のち西南の役から大東亜戦争(WWⅡ亜細亜太平洋戦線)までの戦没者を
順次合祀しました。昭和三十四年現在地に遷座。


一式戦闘機 隼
四式戦闘機「疾風」(キ84)とともに帝国陸軍を代表する戦闘機として、大東亜戦争における事実上の主力機として使用された。総生産機数は5,700機以上で、旧日本軍の戦闘機としては海軍の零式艦上戦闘機に次いで2番目に多く、陸軍機としては第1位。


やすらかに
碑文
特攻隊の若い命は再び帰らず。
出撃の瞬間まで求めたであろう母の姿。
この晴姿をせめて母上に一目最後の別れと、お礼を一言。
胸を張り裂けそうな、その心情は、母もまた同じであったろう今ここに立つ母の姿
とこしえに母と共に安らかに
母の温かいみ胸で、御霊の安らかならんことと世界・平和を祈念して。
昭和六十一年三月三十日 熊本県芦北町 前田将

知覧基地 特攻隊の歌
一 ああ薩南の此の地より 敵撃滅の命を受け まなじり決し若人が
翔び立つ姿尊しや その名特別攻撃隊
二 ああ明日はなき此の命 胸に秘めたるその覚悟 祖国の平和念じつつ
南の空に翔び立ちし その名特別攻撃隊
三 ああ今此処に銅像の 勇士の姿仰ぐとき 国を護りしつわものの
勲は永久に薫るらん その名特別攻撃隊
全ての兵者に敬意を表しますと共に、英霊の御霊に感謝の誠を捧げます。
つづく
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