近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
腹が減ったので、駐車場の係の方にお聞きして向かいました。

ラーメン小金太(天文館公園の隣)
昼という事で店内は賑わっていた。カウンター席に空きを見つけて着席。
見た目は茶色の醤油豚骨の様なスープだが、非常にあっさりとしており、
トンコツだけでなく鶏や節、野菜も入っているようだ。甘みがあるのは
野菜だけでなく、カエシの醤油が甘いのかな。深みを出すために味噌も
入っているように感じるのだが…麺は色白の中細直麺。トッピン具は、
表面を多めの油で焼いた(揚げた)ような小さ目のバラ、茹でモヤシに
キャベツ、キクラゲに入れ放題のネギ。全体的にまとまったラーメン。
まっ良いんじゃないかな。鹿児島ラーメン4杯目。宮崎より好みだな。
(店内のテレビで台風が来ている事を知った)

チャーシューラーメン


食後に訪れたのは、西郷隆盛公が、西南の役、最終局面の城山籠城戦にて
籠っていた洞窟です。
(近くに隆盛公終焉の地もあるはずだが分からなかった)

西郷隆盛 洞窟「おはんらにやった命」
−西南戦争 最後の司令部−
1877年(明治10)9月24日、午前4時政府軍の城山総攻撃が始まりました。城山に立てこもる薩軍兵士は、わずか300余。これを囲む政府軍は、何重もの柵をめぐらし、その数4万。死を決した西郷は、夜明けを待って、5日間すごしたこの洞窟を出ました。桐野利秋、別府晋介、村田新八、池上四郎 といった私学校の幹部たちも一緒です。この日の西郷の出立ちは妻のイトが縫った縞の単衣に白い兵児帯。ゆっくりと岩崎谷を下ります。その時流弾が西郷の腰に命中。別府の介錯をあおいで49歳の生涯を閉じたのです。
西南戦争 というのは、不平士族の反乱のあいつぐ中、西郷を慕う私学校の生徒たちが、政府の挑発によって引き起こした暴動が始まりです。首謀者の引き渡しか全面戦争か、その結論を出したのは「おはんらにやった命」という西郷の一言でした。2月15日、ついに挙兵。熊本で政府軍と激しい攻防をくりかえすも、近代兵器の前に敗退。7ヶ月にわたる大乱の最後を、西郷は故山城山で迎えたのです。
ぬれぎぬを 干そうともせず 子供らが
なすがままに 果てし君かな 勝海舟 -案内板より

西郷隆盛

洞窟の隣にあった土産屋さんの西郷隆盛像

鹿児島の街中を抜け、薩摩半島を南下します。

途中、スーパーマーケットで、
めし(台風の影響があるといけないので惣菜)を購入

野営地・森のかわなべキャンプ場に到着。


夕方になると雨が降り出したので、車の中で夕めしを食し、就寝。
第40日目終了
本日の走行距離 61km
つづく
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