~西へ~(291) 39日目⑥ 蒲生八幡神社(日本一の巨樹「大クス」) | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
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神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

    
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら


次なる地に向かっていると、雨がポツリ。



本降りになる前に参拝します。

        

此処「蒲生八幡神社」は、旧名「正八幡若宮八幡宮」と称し、
国の特別天然記念物 日本一の巨樹・蒲生の大クスで有名な神社です。

     

朱の大鳥居をくぐり、参道を進むと威厳を感じる神域に。



参道石段左右の御門神社まで進むと、

    

社殿の左手に巨大な木が見えてきます。手水舎が小さく見えます。



御神木(巨木)を拝する前に石垣の上の本社にお参りです。

         

 蒲生八幡神社の由緒
当社は、保安四年(西暦1123年・平安末期)鳥羽天皇の御宇時の蒲生院総領職であった蒲生上総介舜清【かもうかずさのすけちかきよ】が、豊前國宇佐八幡宮を勤請して、現在の地に創建せしものなりと云ふ。
爾来、今日に至るまで、蒲生家及び島津藩主とも当社を深く敬齋し、特に、島津義弘公は社殿を再興し、新たに華表を建て、正八幡若宮の額を掲げ、大刀、甲冑、宝器を寄進するなどしたので、御神威弥益々に増せりと云ふ。
かく、歴代藩主を初め藩民の崇敬弥厚く、祭祀も厳かにとりおこなわれて来たが、廃藩置県以後は、闔郷の宗廟として、また、あまねく郷民の心の寄り処として限りない信仰を集めて来た。故に、明治六年五月郷社に列せられ、更に、大正五年五月十九日県社に昇格した。 -蒲生八幡神社公式Webより




 ご祭神は、
応神天皇、仲哀天皇、神功皇后の八幡三神   で、ございます。

     
      本殿



 摂社・末社
四所宮(仁徳天皇・宇治皇子・ウレ姫・クレ姫)
武内神社(武内宿禰)
天社(天神七代)
國社(地神五代)
早風社(大人隼人)
十八種神社



本社、摂社・末社に拝礼し、巨大な御神木を拝します。

   
      蒲生のクス



国指定特別天然記念物
  日本一の巨樹「大クス」について
「蒲生のクス」は、昭和63年度に環境庁の巨樹・巨木林調査によって、日本一の巨樹である事が証明された。樹幹の下部には凹凸が多く、内部には直径4.5m(約畳8畳敷)の空洞がある。枝はりは四方に広がり、その壮観な様は、まるで怪鳥が空から降り立ちたったようである。
 保安4年(1123年)に蒲生院の領主であった蒲生上総介舜清【かもうかずさのすけちかきよ】が、豊前国宇佐八幡宮を歓請して、この地に正八幡若宮(蒲生八幡神社)を建立した。その時すでに「蒲生のクス」は神木として祀られていたという。伝説では、和気清麻呂【わけきよまろ】が宇佐八幡の信託を奉上(ほうじょう)し、大隅に流された時に蒲生を訪れて、手にした杖を大地に刺したところ、それが根付いて大きく成長したものが「蒲生のクス」だとも言われている。 -蒲生八幡神社公式Webより


        

         推定樹齢 1600年
   樹高 30m  根周り 33.57m  目通り幹周り 24.22m





         
          蒲生八幡神社 御朱印





車に戻り、この後の予定を考えていると凄い雨が。。。



                                 つづく







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