近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
海上自衛隊鹿屋航空基地史料館の中に入ります。

史料館(海鷲の航跡)とは......
鹿屋基地史料館は、旧海軍航空の興亡の軌跡及び
戦後の海上自衛隊の歩みとその中で
活躍する隊員の姿を伝えることにより、
国を守ることの意味を理解してもらうために
以下のテーマを基に開設しました。
・海軍を含めた鹿屋基地の歴史、施設及び部隊等の変遷に関すること。
・海軍の戦史資料及び海軍航空の資料、文献、航空部隊及び基地等に関すること。
・海軍特別攻撃隊に関する資料及び文献に関すること。
・海上自衛隊航空部隊の歴史、装備品等の変遷、任務、組織及び活動状況等に関すること。
建設の目的
貴重な資料(散逸の防止)及び海上自衛隊活動状況の関連資料を教材として、隊員の教育及び一般広報に資する。
史料館の歴史
鹿屋航空基地は、昭和11年鹿屋海軍航空隊に始まり多くの戦闘に参戦しました。それらに従事し、捧げた尊い命を悼み、多くの歴史を伝えるため、昭和47年に史料館を設立。平成5年には、改めて旧海軍航空隊の興亡の軌跡と、戦後の海上自衛隊航空部隊の歩みを伝え、国を守ることを、わかりやすく理解していただくため、新史料館を開設しました。
-鹿屋航空基地史料館公式Webより


史料館は1、2階となっており、基本2階から見学するようです。


受付を済まし、ショーケースに入った戦艦・航空機の模型が並ぶ
エントランスを過ぎ、先ずは映像にて簡単な説明がありました。

2階は、一部「撮影禁止」との事。
展示内容を鹿屋航空基地史料館公式より転載します。
時代を翔けた勇士たちの航跡
<海軍航空隊の歴史>
明治維新による海軍の誕生から、終戦によって海軍が終焉するまでの間の、日本近代化の時代を背景とした海軍航空隊の歴史を展示している。
その中心となる構成は、第一に海軍航空隊の誕生と以後の発展の足跡であり、後の展示の導入部として位置づけている。
第二は海軍の歴史最後に位置する神風特別攻撃隊に関する展示であり、第一部のクライマックス部分として、展示の主要部分となっている。
「海軍精神」
海軍の萌芽から大東亜戦争までの歴史の中で、良き海軍魂ともいうべき必勝の信念、旺盛なる責任感、指揮官先頭、不撓不屈の敢闘精神等に示される海軍の精神的基盤を育んだ人々や、以後の海軍の発展に大きな影響を与えた出来事を中心に紹介し、第1部の展示を理解するに必要な目次的な部分が構成されている。
「実力の養成」
<海軍航空隊の発展>
海軍航空の発祥からわずか30余年の短期間に世界列強海軍と比肩しうる実力を備える海軍航空機発展の原動力になった先駆者たちを中心に、海軍航空の発祥、急成長の海軍航空隊及び航空技術の発展の様相について時代を追って検証展示されている。
「海軍航空兵力の興亡」
<航空用兵思想の変遷>
海軍航空が発足し、第一次大戦、上海事変、支那事変、大東亜戦争において活躍した様子及び衰退していった過程を航空用兵思想の観点から考証している。
「特攻作戦」
作戦の一環として神風特別攻撃隊が誕生し、必死の作戦が敢行されるに至った経緯、特攻隊の出撃の概況、特攻に使用された機種、各方面別の特攻作戦、その他神風特別攻撃隊の全容を、それぞれのジャンルに整理して説明し、愛する者のために身を犠牲にした特攻隊員の至高至純な心を偲び、理解しやすいように展示されている。
特別攻撃隊の中心的な出撃基地として使用された鹿屋基地について、駐屯した部隊(陸軍98戦隊)や基地周辺住民との触れ合いを折り混ぜて紹介している。
(転載ここまで)

垂水沖と吹上浜から引き揚げられた零戦を合わせて
修復された(ニコイチの)零戦が展示されていました。

三菱重工業の技術支援を得て鹿屋航空工作所の隊員たちが復元したとの事。



零式艦上戦闘機52型(A6M5)
発動機 栄21型
プロペラ 住友ハミルトン恒速3枚、直径3.05m
(展示機に取り付けてあるものは、本物だそうです)
機体
全幅:11.00m
全長:9.121m
全高:3.57m
全備重量:2,733kg
最大速度 564.9km/時
航続距離 1,920km
武装
7.7mm×2
20mm×2
30kgまたは60kg×2
その他
11型、21型、52型 総計10,430機

操縦席
他にも「戦闘機52丙型機銃」「戦闘機21型機銃」「搭乗員の装備品」
「細かい部品」などが展示されています(撮影禁止につき画像なし)
「特攻作戦」の章(撮影禁止)を拝見し、鹿屋基地から出撃した
900余名の遺影に感謝の一礼をして1階に下りました。
つづく
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