近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
飫肥城の中心部を見た後、廃藩置県後に、旧藩主伊東氏が
居住していた「豫章館」を見ました。


豫章館は飫肥藩主伊東祐帰が明治2年に城内から移り住んだ屋敷で、庭の北隅に大きな楠の木があったことから豫章館と名付けられた。
この屋敷は大手門前に位置する飫肥城下ではもっとも格式の高い武家屋敷である。
薬医門と屋根付きの塀に囲まれた6500平米の屋敷内には主屋、雑舎、蔵、御数寄屋があり、南面に広大な枯山水の庭園が配されている。
主屋は六部屋をL字型に配し、玄関は千鳥破風の屋根を構え、表玄関と脇玄関がある。
屋根はもとは茅葺きであったが、昭和初期に瓦葺きになった。
昭和58年に伊東家より日南市に寄付された。 -案内板より

広大な敷地を囲う土塀

豫章館(現存・市指定文化財 建築物)

玄関

豫章館と城は空堀で隔てられた隣どうしで、
両側共には土塁が盛られていました。


屋敷の周り縁(雨戸あり)と座敷から見た中庭の竹

座敷内

宮崎らしく、ソテツの植えられた庭

屋敷の一番奥まったところには「数寄屋(茶室)」が建ってます。

数寄屋(茶室)に行く途中には、石仏がありました。

裏庭
つづく
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