~西へ~(265) 35日目⑧ 平和台公園Ⅱ・めし・旅泊地 | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

    
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら


 八紘之基柱について(日名子実三謹記)
八紘之基柱は、紀元二千六百年に方り、宮崎県奉祝会は、八紘一宇の御精神を、悠久に、一代建造物として、具現し奉り、皇民精神修養根本道場たらしむべく、畏くも秩父宮殿下の、御染筆を賜り、官幣大社宮崎神宮の北方二粁、神武天皇御東征御軍議の聖蹟地八紘台(高さ五十米の丘)上に、東は霊地檍ヶ原を隔てゝ黒潮躍る太平洋を、西には、霊峯高千穂を指呼の間に望み、南は大淀の流れの千載に清きを眼下に見下し、我等が遠祖の眠る十七基の古墳群にかこまれて、二千六百坪の大広場を控へて立つ百二十尺の皇土の基柱であります。
基柱建立の議起りて、其設計及彫刻制作の一切を、実三に托せられて満二ヶ年、一億同胞の援助のもとに、工成り、紀元二千六百年十一月二十五日、畏くも秩父宮殿下御使の御派遣ありて、竣工式を挙行、つづいて高松宮殿下の御台臨を賜り、高貴の御姿を、基柱正面露台上に仰ぎ拝するの光栄に浴し、聖柱の意義を、一層重からしめました。
基柱の基底部、玉垣をめぐらしたる十五間四面の礎石は、内地の津々浦々より、又皇軍第一線の各部隊より、遠くは南米及独乙の在留邦人より、各々由緒ある各地の石材の献納を受けたもの二千個を以て築き上げ主柱部鉄筋コンクリート建日向石舗装の耐震保久の構成とし、其形状は神籬に想を得て、書紀にある天皇盾を立て、雄叫びをなされ給ひし故事により、盾の形を組み合せて、之を幣帛の形になぞらへ、正面に御染筆「八紘一宇」の四文字を謹刻し奉り、四周に、荒魂、和魂、奇魂、幸魂の陶製四魂像(高サ一丈五尺)を配してあります。
基柱頂上部は、二間四面、基底部は、八間四面、正面の神武天皇御東征美々津出航の大軍船隊の浮彫のある大銅扉を拝すると厳室となつて居まして、奥まりたる正面、校倉風の奉安庫に御染筆を納め奉り四周の壁には 一、大国主命国土奉還 二、天孫降臨 三、鵜戸の産屋 四、橿原の御即位式 五、明治大帝御東遷 六、紀元二千六百年興亜の大業(五尺×十一尺、二面、五尺×五尺、四面)の大壁画彫刻をめぐらしてあります。(旧漢字は常用漢字に改めた。)


        

昭和三十二年(1957)「平和の塔」に改称。
昭和三十七年(1962)に荒御魂像が、昭和四十年(1965)には「八紘一宇」の
文字が復元されました。これらの復元を主唱した県観光協会会長の岩切氏に
「革新政党」や「労働組合」が抗議に訪れたが、「元に戻すのが当然」と
岩切氏は、追い返したという。


高さは、36.4m。
1,789個の切石(縦45センチ・横60センチ・幅15センチ)が
礎石として使われている。


「鳴き龍」と同じ様に手をたたくと
多重反響現象による共鳴が起こり「ビィ~ン」と音がする。


中国「南京」でまた“いちゃもん”(産経ニュース)
宮崎「平和の塔」礎石返還要求へ 南京の団体、月末に来日
 (http://www.sankei.com/life/news/151015/lif1510150002-n1.html
宮崎県立平和台公園(宮崎市)にある昭和15年建設の「平和の塔」に、中国・南京で旧日本軍が略奪した石が使われているとして、現地の民間団体を名乗る「南京民間抗日戦争博物館」の関係者が、県に石の返還を求めている。「南京大虐殺文書」が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の記憶遺産に登録された動きと足並みをそろえており、「南京」をテコにした組織的「抗日」も疑われる。
 石造りの平和の塔は、神武天皇即位2600年を記念し、宮崎県や、県内の民間団体が企画した。建設にあたって、国内の自治体だけでなく海外の日系人組織などに石材の寄付を呼びかけた。県などによると、礎石計1789個のうち、400個程度が海外産の石だという。
 国立公文書館アジア歴史資料センター(東京)に残っていた塔の事業要項によると、礎石について「東亜はもとより世界の各地、御稜威(みいつ)の及ぶ所より石を集めて其の上に之(塔)を築造」としている。
 高さ40メートルの塔は戦後、周囲の公園とあわせて市民の憩いの場として親しまれてきた。その塔に今月1日、中国側が突然、かみついてきた。
「南京民間抗日戦争博物館」が石の一部返還を求めるという情報が、日中友好協会の前全国常任理事で、同県都城市在住の来住新平(らいじゅう・しんぺい)氏から、もたらされた。
 来住氏によると、中国側が返還を求めるのは、中国に古くから伝わる霊獣「麒麟(ぎりん)」の絵と「南京日本居留民会」との文字が刻まれた礎石など計3個。これらの石について、同博物館では「明王朝の陵墓から持ち去られた国宝級文化財の可能性がある」などと主張しているという。
 来住氏によると、今月25日から、同博物館の呉先斌館長らが来日し、27日に宮崎県庁を訪れる予定という。呉氏のほか、南京の旅行代理店関係者、「南京大虐殺」の被害者として、日本政府に損害賠償を求める訴訟の関係者らも来日するという。
 公園を管理する県都市計画課の担当者は「礎石についての詳しい資料が残っていない。また、正式な要請内容が分からず、現時点では対応しかねる」と語った。
 中国側の主張に対し、塔の歴史に詳しい宮崎神宮(宮崎市)の黒岩昭彦権宮司は「石は中国や台湾、満州だけでなく、ドイツやアメリカ、ブラジルなどからも集められた。経緯に不明な点も多いが、塔はあくまで皇紀2600年を記念して建造されたもので、さきの大戦と結びつける理解は誤りだ」と中国側の姿勢を憤った。
 また、塔を制作した彫刻家、日名子実三(ひなご・じつぞう)に詳しい大分県立芸術会館(現・県立美術館)の広田肇一元副館長も「塔は歴史的な遺産だ。当時の世相を踏まえ、一世一代の大作として制作した作品に現代の価値観で手を入れることは、大仏を破壊することに類する行為といえるのではないか」と語った。
-産経ニュースWebより





めしを食すために宮崎市の中心街に到着。



神社で教えて頂いた「タルタルチキン南蛮」の店へ。

   
    おぐら 本店(アパホテル宮崎駅橘通の近く)

昔よくあった町の洋食屋さんのような店。夕方早めに行ったが、店内は
ほぼ埋まり、繁盛店のようです。待つ事10分弱、皿にのった「ライス」
と共に、たっぷりのタルタルソースが、かかったチキン南蛮がきました。
このタルタルがフワッと軽く旨い。さすが「洋食屋さん」です。しかし、
肝心の「チキン南蛮」がイマイチ。鶏モモ肉のファットが残り下処理が
不十分だし、酸化が進んだ揚げ油が使われていた。これじゃあね。。。


 おぐらのチキン南蛮



本日の旅泊地・清武PAにて車中泊


第35日目終了

本日の走行距離  153km