~西へ~(266) 36日目① 移動・日本100名城 飫肥城Ⅰ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

    
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら





36日目の夜明けです。



本日は早めに出発。国道220号を南下。



曇り空ですが、海沿いの道を気分よく走ります。


   途中休憩。

        

赤トンボが飛んでいました。



再び、海沿いを走り、日南市で国道222号に入ると15分程で飫肥城下に。

      
飫肥城下町案内図(クリックで拡大)

       

飫肥城といえば、長期間に渡って伊東氏・島津氏という2つの勢力が
一貫して1つの城を巡って争い続けた事で有名な城です。


 大手門(復興・模擬)

    
   大手門前の空堀

  大手門 (右)
 飫肥城大手門は明治時代初めに取り壊されたが、昭和53年(1978)に飫肥城復元事業の第二期工事として歴史資料館とともに復元建設された。
 復元に際しては、当時の城郭研究の第一人者であった故藤岡通夫博士に設計、監修を依頼し国内に現存する大手門を参考に在来工法で行った。復元された大手門は木造渡櫓二階建てで、高さ12.3mを計る。建築材は飫肥営林署の三ツ岩学術参考保護林から樹齢百年の飫肥杉四本の提供を受けた。
 なお、復元工事中に、礎石に刻まれた正徳三年(1713)銘の碑文が発見され、大手門の内側に保存されている。
 飫肥城は、重要伝統的建造物群保存地区内であるとともに、日南市指定文化財である。
-案内板より



 大手門(枡形、城内側から見る)


 
    礎石に刻まれた正徳三年(1713)銘の碑文



大手門をくぐると、筋違い虎口となってます。


狭間から大手門 虎口を見る


              
       


大手門の虎口から石段を上がると、正面に
本丸の立派な石垣が立ちはだかります。




                              つづく







                当ブログの無断使用は禁止です。
                      メッセージにて確認をして下さい。その上で、 
                      文章引用・画像使用の場合は出典元URLを明記して下さい。