~西へ~(247) 33日目⑬ 日向 延岡城Ⅱ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

  
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら


本丸から天守台に上がります。
(実際は天守台というより天守丸に近い)


 天守台手前の土塁


 天守台虎口(現在は通行止めになっており、回り込んで上がる)


 天守台跡


 天守台虎口(天守台内部から見る)


 天守台から見た眺め


 天主台跡の鐘付き堂と番人待機所

    
明治十一年に今山八幡宮の鐘をここに移し鐘楼を建てた。
現在の鐘は二代目となる。
この鐘は、現在も1日に6回、刻を告げている。


 天守台から見た本丸

  
   天守台南東側の石垣


 三階櫓跡
(南北下階六間(10.8m)、東西五間(9m)の大きさで、高さ七間(約14m))

 
 三階櫓跡に建つ「後藤勇吉之碑」(昭和九年(1934)建立)
後藤勇吉は、明治29年11月12日、延岡市南町に生まれ、延岡中学校を卒業後上京、飛行士として修練を重ねた。 大正9年(25歳)競技飛行大会に参加、高等競技で1位m、同年空中文明博にも参加、郵便宣伝飛行を行った。 この年、郷土訪問飛行を実施、県民に驚異の感銘を与えた。 以来、航空界の寵児となり日本一周飛行、郵便飛行、輸送飛行等多くの輝かしい足跡を残した。 昭和2年太平洋横断飛行が企画されるや、その責任者に選ばれ、猛訓練が開始された。 翌3年2月29日午前8時、大村海軍航空隊を出発、霞ヶ浦に向かう途中、佐賀県岳上空で墜落、死亡した。33歳の壮年であった。 延岡観光協会  -案内板より


延岡城は、五ヶ瀬川と大瀬川が合流する地点にある
標高53mの城山と呼ばれる独立丘陵に築かれており、
天主台、本丸、二の丸、三の丸、西の丸からなる平山城です。






                              つづく







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