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天孫降臨の地・高千穂、最後に訪れたのは、「元宮 荒立神社」
猿田毘古神 天宇受賣命をお祀りします神社です。

日本書紀 第一によると猿田彦命(猿田毘古神)の容姿は、
「その鼻の長さ七握、背の高さ七尺あまり、正に七尋というべきでしょう。また口の端が明るく光っています。目は八咫鏡のようで、照り輝いていることは、赤酸漿に似ています。」とあります。

天孫降臨の際に、
「天から地へ通じるいろいろな道が集まった要の場所に居て、光って上は高天の原に輝き、下は葦原の中つ国に輝いている国つ神があった。」
天孫は天鈿女に対し、
「お前は女であるが、出会った神に向き合って勝つ神である。行って誰であるかを問え」
国つ神の前に出た天鈿女に対し、
「自分は国つ神で、名は猿田毘古神だ。天つ神の御子が天降られると聞いたので、先導しようと出迎えたのだ」と言った。


そして、猿田彦命は天孫の道案内として仕えることになり、
天鈿女命は猿田彦命の妻となりました。

当社は、この二神が結婚して住まわれた地と伝えられ、切り出したばかりの
荒木を利用して急いで宮居を造った為、荒立宮と名付けられたと伝わります。


拝殿前の小さい狛犬

拝殿ない


歳神 神楽殿

注連縄に吊り下げられた彫り物(えりもの)


荒立神社 荒立神社 御朱印
この社は猿田彦の命 天鈿女命を主神とし大年神迫天満興呂木家先祖をお祭りしている神社です。
社名の伝説はニニギノ命が瑞豊国に降臨されし途中の分岐点で御出迎えし「筑紫の日向の高千穂の久志布流嶽」に御案内申し上げられたのが猿田彦命と記紀に記されています。其の天孫降臨の神々の中に鈿女命がありニニギノ尊の命により猿田彦命に仕えられ逢初の契りを結ばれてくしふる峰の後方から切り出したばかりの荒木で家を建てて住居とお定めになりました。
後世命を祀る社も荒木で白水造りとした事から別名「荒建宮」の社名となったとも言われています。
この付近を「神呂木山」と言いこの峯つづきにくしふる神社高天原四皇峰等があります。
降臨の道案内役をされた猿田彦命は道開きの神として交通安全、五穀豊穣、商売繁盛、厄除、夫婦和合、安産、長寿祈願に信仰が厚く庚申としても有名であります。
天鈿女命は天照大神が天の岩戸にお隠れになられたときに天の香具山の日影カズラを襷に笹の葉を手に乳房も陰もあらわに乱舞され天の岩戸開きをされました。この舞が現在の神楽の元と言われています。
主な後利益は芸事の上達、厄除け、子宝、長寿などです
平成九年十一月吉日
夏祭 七月二十九日 秋祭 一月第二日曜 -案内板より
つづく
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