近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
槵觸神社周辺は神話史跡コースの遊歩道が整備されておりました。

案内板

風土記・万葉の丘
皇祖発祥の地と伝えられる高千穂の地は日本国民の心のふる里です。天孫降臨は一つの神話ですが、上代の歴史は洋の東西を問わず、神話の形式で伝えられています。神話は民族を特色づける祖先の遺産であり、国の背景を形成する大きな要素ともいえます。くしふる峰に連なるこの丘に建立されている高千穂碑は、神話にいう高千穂が奈良時代に編纂された「日向風土記」に西臼杵蔀高千穂町を中心とする旧高千穂郷と記されていることから、天孫降臨の地高千穂の伝承を顕彰するため、甲斐徳次郎氏(岩戸村長・県議会議員歴任・高千穂町名誉町民)の提唱により、昭和36年から建立運動が始まり、昭和41年11月11日に名誉総裁高松宮宣仁親王殿下の御臨場を仰ぎ、建碑除幕式が行われました。徳次郎氏は神典、古文書に対する造詣が深く、神道の信仰と仏教の信心、古典の研究に通じた郷土史家でもあり、その熱意により建設協賛会名営会長に佐々木行忠神社本庁統理(国学院大学院長)、理事長として法学博士瀧川政次郎氏(国学院大学教授)のご協力をいただき、文学博士安藤更生氏(早稲田大学教授)をはじめとする著名な神社、文化人70余名の発起人を得て、建立されています。

高千穂碑

川田順歌碑
はるかなる神代は ここに創まりぬ高千穂村の 山青くして

あと100mです。


槵觸神社の南に連なる小高い丘の上にあります。
ニニギノミコトが地上に降り立った後に、同行した神々が
この丘から高天原を遙拝したと伝えられています。

高天原遥拝所


日が差してきました。今日も幸運で、移動中には雨が降りますが、
車を降りると傘を使わずに移動できます。

高天原は磐座だったのでしょうか。台座の上に石祠が祀られていました。

続いて、四皇子峰に。
周囲には柵があり、これ以上は、進めなくなっておりました。

四皇子峰
神武天皇の御兄弟神(四皇子)誕生の地と伝えられ、御聖域とされている。彦火火出見尊(ニニギ尊の御子で山幸彦)の御子鵜鵝草葺不合尊は玉依姫と結婚され、彦五瀬命、稲飯命、三毛入野命、神日本磐余彦尊(神武天皇)の四皇子がお生まれになっている。神日本磐余彦尊は高千穂の宮で東征について彦五瀬命とご相談され、日向から筑紫、安芸、備後熊野を経て大和に入られ、平和国家を築かれたという
-案内板より

拝殿
つづく
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