~西へ~(224)32日目② 日本100名城 岡城Ⅱ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

  
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら


朝早い為、誰もいない城址を満喫しながら大手門を目指します。


 国指定史跡 岡城跡
岡城は、文治元年(1185)大野郡緒方荘の武将緒方三郎惟栄が、源頼朝と仲違いをしていた弟義経を迎えるため築城したと伝えられるが(註1)、惟栄は大物浦(兵庫県)を出航しようとして捕らえられ、翌年上野国(群馬県)沼田荘に流された。
建武のころ豊後国守護大友氏の分家で大野荘志賀村南方に住む志賀貞朝は、後醍醐天皇の命令をうけ、岡城を修理して北朝と戦ったとされるが、志賀氏の直入郡への進出は、南北朝なかばの応安二年(1369)から後で(註2)、その城はきむれの城であった。のちに志賀氏の居城は岡城に移った。
天正十四年(1586)から翌年の豊薩戦争では島津の大軍が岡城をおそい、わずか十八歳の志賀親次(親善)は城を守り、よく戦って豊臣秀吉から感状を与えられた。しかし、文禄二年(1593)豊後大友義統が領地を没収されると、同時に志賀親次も城を去ることになった。
文禄三年(1594)二月、播磨国三木城(兵庫県)から中川秀成が総勢四千人余で入部。築城にあたり志賀氏の館を仮の住居とし(註3)、急ぎ近世城郭の形をととのえ、本丸は、慶長元年(1597)に完成、寛文三年(1662)には西の丸御殿がつくられ、城の中心部分とされていった(註3)。
明治二年(1869)版籍奉還後の四年(1871)には十四代・二二七年続いた中川氏が廃藩置県によって東京に移住し、城の建物は七年(1874)大分県による入札・払い下げですべてが取りこわされた。
滝廉太郎は、少年時代を竹田で過ごし、荒れ果てた岡城に登って遊んだ印象が深かったとされ、明治三十四年(1901)に中学校唱歌「荒城の月」を作曲、発表している。
註1『豊後国志』巻六 直入郡の項による。但し当時、惟栄は京都に滞在していた可能性が極めて高い(『源平の雄 緒方三郎惟栄』)
註2『豊後国志』巻六 直入郡の項による。但し志賀氏の直入郡進出は、応安二年直入郡代官職・検断職を預けられた以降で、天文二十一年ころは大友氏加判衆(老職)をも勤めていた。(『竹田市史』上巻)
註3『中川史料集』に「滋賀湖左衛門親次が旧居に御住居」とあり、戦国時代の城郭を基礎として近世城郭の整備・城下の町割り(竹田町の建設)などをおこなった。
註4岡城は山城的殿舎(御廟)、平山城的殿舎(本丸・二の丸・三の丸)、平山城的殿舎(西に丸)で構成され、これらが一体となっているぉとは近世城郭史上特異な城である。
註5明治七年二月十九日付『大分県布告書』で、(県内五城の建造物)岡城は六十九棟が入札に付されている。
   平成十年三月          竹田市教育委員会
-案内板より



 自然の巨岩をうまく利用した見事な石垣

   

上がるにつれて、少しづつ道幅が狭くなってきました。



大手道の手すりにあたる部分は蒲鉾状で、
塀を建てる為の支柱穴があります。



とても立派な大手門跡に到着です。

 
 大手門跡             平成11年に20日間限定で模擬復元された大手門
大手門は、城の正面に位置する門で追手門と本来いう。追手とは、敵を追いつめる方向にあるという意味で、籠城のとき敵を正面に追いつめて戦闘を集中させるのが目的であった。
岡城の大手門は、文禄三年(1594)中川氏入部後、大手・近戸・下原の三口を切り開かれ、慶長八年(1613)に朝日がまぶしいため古大手門から現在の位置に移された。さらに、宝永三年(1706)に建て直しを行っている
大手門には、侍番が置かれ城中への出入りにはからりの注意が払われていた。
-案内板より



 石垣の普請は、穴太衆と思われる「穴太伊豆」


 大手門の礎石


 場内から見た大手門跡

  
  大手門2階櫓部に入る為の石段



枡形の虎口を抜け、左手に進むと「西の丸」



直進すると「家老屋敷」「上代屋敷」を経て、
「三の丸・二の丸・本丸」へ。



                              つづく







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