~西へ~(223)32日目① 日本100名城 岡城Ⅰ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

  
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら





32日目。夜中に雨が降り、本日の登城が不安になりましたが、
起きると雨はあがっています。



城址に着く頃には、曇り空ですが明るくなってきた。

   

岡城の築かれた天神山(標高325m、比高95m)が見えてきました。



観光用の大きな駐車場があり、その先は有料区画になってます。

   
  岡城の造営と修築
 史跡岡城址は、大野川の支流である稲葉川を北に、白滝川を南に臨む。標高325mの阿蘇溶結凝灰岩で形成された台地の上に築かれている。両河川は台地の先端部で合流し、天然の堀の役目を果たし、河川の内側は切り立った断崖絶壁になって、深い谷に取り囲まれている。
 現存する岡城址は文禄三年(1594)中川氏が播州(兵庫県)三木から入部して普請されたものである。城の造営は、初代藩主中川秀成(ひでしげ)により始められ、天神山を本丸とし、以前の大手であった下原口(しもばるぐち)を搦手(からみて)に、西南側に大手口を、北西側に新たに近戸口(ちうかどぐち)を切り開き、3つの門が出入り口になった。城の曲輪は、東から御廟(ごびょう)の曲輪、東西の中仕切りの間に本丸・二の丸・三の丸の曲輪さらに西側に西ノ丸の曲輪が設けられた。
 西ノ丸は、寛文四年(1664)に、三代藩主中川久清により隠居所として、御殿の普請が完成している。
 石垣の普請は、石垣職人として有名な穴太(あのう)衆と思われる。「穴太伊豆」が大阪から呼び寄せられ工事にあたっている。その後、度重なる地震や風水害により、城内各所が破損し、その都度石垣の修理が行われ、積みなおした跡が今も見ることが出来る。
 明和八年(1771)には城下町より出火した火が城内に移り、西ノ丸をはじめ、本丸・二の丸・三の丸・御廟・下原まで類焼し、岡城内のほとんどの曲輪が焼失した。再建は、火災以前の殿舎の構成を基本的には踏襲して行われた。。現在史跡内には、主要曲輪だけでなく近世城郭における各建物の遺構(武家屋敷・宗教的建物)が残されている。
 岡藩は禄高約七万石の藩であるが、豊かな自然の中に広大な城が築かれ、現存する雄大な石垣は堅固な城であったことを窺い知ることができる。
-案内板より




梯郭式山城の岡城、山頂に築かれた石垣が見事です。



到着の時間が早かったので料金所はまだ無人でした。一服していると
係の方が来たので、「何時からか」お聞きすると「どうぞ」と快く返答。
時間前ですが入城させて頂きました。 ありがとうございました。



切り立つ崖は、真に自然の要害です。

   
  国指定史跡 岡城跡 指定年月日 昭和十一年十二月十六日
 指定理由
岡城跡は、明治維新後荒廃し、樹木が鬱蒼卯としていたが、昭和六円より一部を公園として公開し、藩政当時の盛観を偲ばせ、公衆行楽の諸施設を施している。
さらに、展望は飽きることなく、北は北九州アルプスの連峰、西は東洋第一の阿蘇の噴煙を眺め、南は祖母の高峯一帯の大森林を一望の裡に収め、実に天下絶景の地である。
 説明事項
城の外観が牛の臥せたる如きにより別名「臥牛城」という。
築城伝説
文治元年(一一八五)豊後武士団棟梁であった、緒方三郎惟栄が築城。
建武年中(一三三三~一三三八)志賀貞朝から十七代、二百六十年間志賀氏の居城。
戦  歴
天正十四年(一五八六)城主志賀親次は、島津義弘率いる薩郡と激しく交戦して最後まで死守し、岡城が堅城として名声を天下に示した。
現存城郭
文禄三年(一五九四)中川秀成が入部してから十三代、二百七十七年間中川氏の居城。
 注意事項
一、 石垣・石段等の遺構を毀損しないこと。
一、 許可なく工作物の建設を行わないこと。
一、 濫りに竹木の植栽及び伐採を行わないこと。
一、 許可なく動植物を捕獲・採取・殺傷・又は損傷しないこと。
一、 立入禁止区域及び危険箇所に立ち入らないこと。
一、 濫りに現状変更を行わないこと。
(説明文は指定申請書を現代文に改め、抜粋復刻したものである。)
  -案内板より


 

道が分かれ、上り坂の方に進みます。



                              つづく







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