~西へ~(218)31日目④ 回天神社(大分県)・大神回天基地・住吉神社Ⅱ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

  
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら



 回天神社
太平洋戦争後、大神基地隊員の精神的支柱であった基地本部内の
「回天神社」は、残務処理で残った隊員たちによって住吉神社境内に
遷されました。
大神突撃隊開隊日である4月25日を例祭の日と定め以後、住吉神社宮司
・氏子、総代によって手厚く祀られている。


御神体 回天の縦舵機、発停装置、燃焼器推進軸受


 住吉神社(左)と回天神社
 
   
    本殿と金属鳥居(平成十三年改築)

    
  囘天神社由来
御祭神 天照大神 應神天皇 楠正成
 祭祀者 大神突撃隊司令 海軍大佐山田盛重
 御分神 昭和20年4月20日
 大神突撃隊廰舎内に鎮座
  同年4月23日
 同隊開隊式(於神前) 同年4月25日
 同隊解隊に付一時住吉神社境内に御奉遷
  同年8月25日
 御例祭  毎年4月25日
 太平洋戦争の末期 堅く神州の不滅と皇国及
 必勝を信じ一死国難に殉ぜんとする 弱冠
 二十の若桜 相競ひて大神突撃隊に入り
 水明の海辺に菊水の大旆打ち樹てゝ特攻兵器
 回天の訓練に烈々と精魂を傾倒せり

 回天隊歌
一、悠久不滅神州の 國難誰(たれ)か救うべき
  若き尽忠丈夫(ますらお)の 血潮逆巻く回天隊
二、その名も清き大神(おおがみ)に 楠公精神体得の
  戦友(とも)は微笑(ほほえみ)今ぞ征く 無敵の誇り回天隊
三、七度(ななたび)人(ひ)と生れ出で 巨艦轟沈必殺の
  若干二十(はたち)の若桜 従容(しゅうよう)散りゆく回天隊
四、水漬く屍の礎(いしずえ)も 天皇(すめらみこと)の弥榮(いやさか)を
  訪(おとな)う春を信ずこそ ああ義烈なり回天隊



 大神回天隊の歌
  作詞:大神嵐部隊隊員
  作曲:大分第一高女教諭
  歌唱:大神嵐部隊隊員
  カラオケ制作:大東亜合唱団


 
  「菊水の紋」と社号額


 回天神社御祭神
天照大神(伊勢神宮)
応神天皇(宇佐八幡宮)
楠木正成(公)(湊川神社)
 回天搭乗員
  潜水部隊回天作戦による回天搭乗員戦死者  八十九名
  回天訓練による殉職者            十五名
  回天搭乗員自決者               二名
 前進基地回天作戦(白龍隊)による戦死者   百二十名
 回天搭載潜水艦十隻沈没による乗組員戦死者 八百十二名
 回天搭載潜水艦同乗による回天整備員戦死者  三十五名
                   計 千七十三名 


 回天模型(実物の3/1)

 

 回天
碑文  
 太平洋戦争の末期 堅く神州の不滅と皇国の必勝を信じ一死国難に殉ぜんとする若干二十の若桜相競ひ大神突撃隊に参加 水明の海辺に菊水の大旆打ち樹てゝ特攻兵器「回天」の訓練に烈々と精魂を傾倒せり
 こゝに吾等関係者往時を偲び相計って回天模型を奉納する
  昭和五十六年四月二十五日  
   大神回天隊



 九三式魚雷(機関部分)平成七年七月大分空港沖合いで引き揚げ


 回天神社(住吉神社)からの眺め


全ての兵者に敬意を表しますと共に、英霊の御霊に感謝の誠を捧げます。





                              つづく







                当ブログの無断使用は禁止です。
                      メッセージにて確認をして下さい。その上で、 
                      文章引用・画像使用の場合は出典元URLを明記して下さい。