~西へ~(217)31日目③ 回天神社(大分県)・大神回天基地・住吉神社Ⅰ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
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神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

  
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら


豊後国一宮 柞原八幡宮から大分県速見郡大神村に
鎮座します「大神回天神社」に。



大神回天神社は、住吉神社境内に鎮座しております。
元々この地は、中世大神氏二代大神親増が築城した深江城(一ッ戸城)が
あったと言われています。が、残念ながらその当時の遺構は残っていません。

  
人間魚雷「回天」大神基地跡
「回天」の特攻作戦はイ号潜水艦に搭載されたものと基地に進出してそこから発射されたものとの二種類があった。大神基地はその訓練基地である。
 昭和16(1941)年大神村真那井、秋貞、軒の丼、牧の内など海岸部の広大な土地が海軍工廠建設を目的に強制買上げされた。
 しかし、大神村の海軍工廠建設は中止となり、用地は特攻基地用地に転用された。
昭利19年暮、大神村牧の内で人間魚雷「回天J基地の建設が始まった。
 配置図は当時の資料と基地関係者の記憶を基に、各施設を現在の概略図に示したもの。
現在残っているのは調整堤などと、当時掘られた地下壕だけである。
-案内板より


回天神社
 大平洋戦争末期の昭和19(1944)年に入ると戦局を逆転するために、魚雷を人間が一人搭乗できるように改造し、母艦の潜水艦から発進して敵艦に体当たりする戦法が考え出された。
 昭和19年9月1日、山口県徳山市大津島で回天の訓練基地が開隊、続いて光基地(山口県光市)、平生基地(山口県平生町)が順次開隊し、ここ大神では昭和20(1945)年4月25日に大神突撃隊として、司令・山田大佐以下2,000名で発足した。
 昭和20年8月2日、隊員8名が回天8基と共に愛媛県宿毛湾麦ヶ浦へ出撃のため進出した。
 昭和20年8月15日の終戦とともに解隊したため、大神突撃隊からは突撃による戦死者は出ていない。しかし、終戦10日後の25日、松尾秀輔少尉が基地内で白決したほか、空襲による犠牲者が出ている。
 終戦に伴い神体を奉納していた回天神社は山田司令の依頼により住吉神社境内に遷座し、地区民がお祭りするようになった。
 慰霊祭は3年に一度、関係者が全国より集まって行われ、その他の2年間は地区氏子の手で慰霊されている。
-案内板より


   
     回天格納庫跡


住吉神社鳥居
貞享4年(1687)2月吉日、日出藩3代藩主木下俊長公寄進
大正12年(1923)1月修健


          


 住吉神社拝殿


 住吉神社 由緒   

 住吉神社境内社
      
  金刀比羅神社・恵比須神社         稲荷社・生目社








                              つづく







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