近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
大分護国神社より、日本100名城のひとつ「府内城」にやってきました。

城址北側から時計回りに周ってみました。

人質櫓(ひとじちやぐら)(現存・二重二階 層塔型)
本丸の最も北側に位置する二重櫓で、寛保3年の大火(1743)の際は焼け残りました。安政元年(1854)の大地震で損壊したため再築されますが、大分大空襲からは被災を免れ、宗門櫓とともに江戸時代の建築様式を伝える貴重な建物です。
-案内板より

東側から見た天守台


東丸東北隅櫓(復興・二重二階 層塔型)


帯曲輪(おびくるわ)
府内城は江戸時代、本丸・東ノ丸・西ノ丸と山里丸を含む北ノ丸からなり、天守閣のあった本丸周辺には水堀があり、北方も海に面した典型的な浮城となっていました。
城の東側から北側には、堀を囲んで、堤防状の土手が築かれていました。
これは、帯曲輪と言われ、堀と海を区画するための外周施設で、古絵図によれば、354間(約644メートル)の長さと書かれています。現在、お堀の東側に外苑として細長く残っているこの場所がそれにあたります。 -案内板より


東丸東南隅櫓(模擬・二重二階 層塔型)

着到櫓(復興・二重二階 層塔型)


大手門(復興・多聞櫓門)大分大空襲で消失し1965年に復元
地震の影響で工事してました。

宗門櫓(現存・平櫓)手前 (左奥は西丸西南隅櫓)
大手門をくぐると正面左に見える櫓で、外から見ると平櫓に、城内からは二重に見える建物です。安政元年(1854)に修築が行われ、大分大空襲から被災を免れ、築城当初の面影を残す数少ない建物です。
-案内板より


西丸西南隅櫓(復興・二重二階 層塔型)
つづく
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