~西へ~(204)29日目⑪ 日本100名城 大洲城Ⅲ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

  
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら


伊予国喜多郡大洲の地蔵ヶ岳に建つ「大洲城」に登城しております。


  大洲城 複合連結式層塔型天守群
 左から
高欄櫓 万延元年(1860)再建 西と南に高覧が付く二重二階
多聞櫓(渡櫓)(木造復元)
天守(木造復元)平成十六年 四重四階
台所櫓 安政六年(1859)再建 二重二階



天守群の内部には、右手前の「台所櫓」から入ります。


 靴箱
  
 元禄五年大洲城絵図

  
 台所櫓(だいどころやぐら) 国指定重要文化財 昭和32年6月18日指定 
大洲城の櫓の中では最大級のもので、内部に土間を配し煙出し用の格子窓が開けられています。
現在の台所櫓は安政4年(1857)の大地震で大破し、安政6年(1859)に再建されたものです。昭和45年(1970)に解体修理を行いました。


      
   台所櫓階段              台所櫓から多聞櫓へ

        
   天守木組模型(木組雛形)        再建された多聞櫓(渡り櫓)

 
 天守の特徴
大洲城天守の特徴のひとつは、その外観にあります。天守1階の大きさは11.8m×13.8mで、規模からは3層の天守が一般的ですが、大洲城は例の少ない4層の天守です。各層の屋根に配された千鳥破風や唐破風の数も多く、5層の天守と似た外観です。外部は土壁保護のために下見板張りとし、2階に連続してある火灯窓とともに、天守の外観を特徴付けています。高欄櫓と西多聞櫓も古絵図では下見板張りでしたが、復元では明治の古写真にならい白壁にしています。
内部の構造では、心柱の存在があげられます。また、天守1階の階段周りの吹き抜け空間なども、他の城郭の天守にはない特徴です。

 
 天守1階武者走り

 
 城の縄張り
大洲城は、肱川のほとりの小高い丘(地蔵ヶ岳)を中心に造られています。丘の北東斜面は急峻で直下を肱川が流れており、天然の要害をなしています。丘の上を本丸とし、中腹から麓にかけて本丸を半ば囲うように城主の御殿のある二の丸があります。二の丸の南と西側には重臣たちの屋敷が並んだ三の丸があります。三の丸の東側には大手門を、南端には搦手門を設け、これらが主な出入り口となっています。それ以外は、二重の堀と山で縄張りを構成しています。
城下町は、城の東に造られました。その南にも堀で囲われた武家屋敷があり、山の谷筋にいくつもの寺が並び、いざという時の防御拠点となるように考慮されています。

       
    1階部屋は、敷居があり、吹き抜けになっている。


 1階部屋に展示されている建築風景のジオラマ

     

  1階から2階への階段(折れ、踊り場があり、左程「急」ではない)

     





                              つづく







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