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何豫護國神社から同じく宇和島城丸之内に鎮座します「和霊神社」に。


ご祭神は、
宇和島藩家老・山家公頼公 で、ございます。

拝殿


市指定 史跡
山家公頼(やんべきんより)の邸宅跡
ここは、和霊神社祭神山家清兵衛公頼の屋敷跡である。
公頼は仙台藩主伊達政宗から藩祖秀宗に付けられ、総奉行として藩の創設につとめた。
しかし、入部当時の借金の返済として政宗に10万石のうち3万石を割くなどの問題から、元和6年(1620)6月30日夜、反対派に襲われ、その子3人とともに命をおとした。
のち屋敷は藩の倉庫となり、明治初年には丸之内和霊神社の小祠が設けられ、明治31年には伊達家が敷地を寄進し、同41年に宇和島城内の日吉ひえ神社の本殿を移築した。
また、本殿の裏の古井戸には、四男美濃の死にまつわる伝説がある。
昭和四十三年一月九日指定 宇和島市教育委員会 -案内板より
本殿

(南豫護國神社の地に鎮座した日吉神社社殿を移築)


御井戸
元和六年六月晦日の夜和霊様が御一門の方々と遭難されたとき御子山家美濃様がこの御井戸へ入水されました
後この井上に一祠をたてて御祀いたしました
この地は当時和霊様の御本邸であります
-案内板より


中島神社の由来
当神社は菓子の祖神、田道間守命をお祀りした由緒の深い御社であります。命は農盃の業を奨励し民生の安定につとめられましたが、垂仁天皇の九十年、命を受けて、遠く海を越え神仙秘境である「常世の国」(現在の南支又は南洋)にいって萬難を排し、十年を経て「非時香菓」を持帰られましたが、その前年天皇は既に崩御されていましたので悲嘆の余り、御陵の前で薨ぜられました。
「非時香菓」は橘のたとえことばで常時高い香りを失わぬ、菓実の意でありまして「橘は菓子の長上にして好む所なり」とあるように菓子の最上品として珍重され、そのまま用いて供饌又は、間食とし後には果実を木菓子と言い、米、麦、雑穀等で作った物を作り菓子と言うようになりましたが、製菓の道は長く複雑であり菓祖神の縁起は更に遠く尊いものです。後、推古天皇の御代、神と祀られ給い菓子の神と申し上げる。
本社は兵庫県豊岡市三宅に鎮座して在ります。宇和島には、昭和十二年十一月勸請です。
四国には、他に松山市道後温泉湯神社の隣りに四国分祀として御祀りしてあります。
-案内板より


柿本神社
御祭神は柿本人麿であります。
年代は、詳しくは判りませんが、元は伊達家中御殿の庭(現在の天赦園グラウンド)に祀られてありました。和歌の神として信仰があり、今も文学句進の神として崇敬されております。
-案内板より

和霊神社(宇和島城丸之内)
御朱印
宇和島で「鯛めし」は、食べずに次なる地「大洲」に着ました。

得意の技・コンビニにてラーメン屋を聞くとすぐ近くに見える店の
評判が良いとの事。迷わず行ってみます。

福ちゃんラーメン本店(大洲農業高等学校の近く)
コンビニのお姉さん曰く「屋台から始まった老舗」との事。
着丼。見た目は所謂、中華そば。レンゲが見当たらず、直丼にてスープを。
少し甘みを感じる醤油に鶏に野菜出汁+化調。ガキの頃食べた様な感じ。
うどんに近いような中細麺は好みの分かれるところだが、愛媛だから良い
のだろう。トッピン具は小間切れのチャーシュー、海苔、薬味ネギだけな
ので、途中で飽きてきた。麺大にしないで、+ライスというのもあるが、
このラーメンでは、オカズになりにくいな。

ラーメン(大)
つづく
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