~西へ~(196)29日目③ 日本100名城 宇和島城Ⅲ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら


宇和島城跡で、現在見られる天守などの建築は伊達氏によるものであるが、
縄張そのものは築城の名手といわれた藤堂高虎の創建した当時の形が
活用されたと見られている。
五角形平面の縄張り「空角の経始(あきかくのなわ)」は四角形平面の城と
錯覚させる高虎の設計で、当時の築城術でこのようなからくりを用いた城は
他にはないといわれています。


 天守(南西側)3重3階 総塗籠式(そうぬりごめしき) 層塔型
伊達宇和島藩・二代目の伊達宗利が寛文六年(1666)頃に再建

 
  天守の背面(南東側)の「御髪矢倉跡」

多くの本丸には、大手と搦手の出入口がありますが、此処宇和島城には
見当たりません。天守内にいらした係の方におききしたところ「宇和島城
では、あえて出入口を一つとし、本丸天守から原生林の中を抜ける間道を
数本つくり、西海岸の舟小屋や隠し水軍の砦などに行かれる様になっていた」
そうです。


 南側からみた天守(現存・国の重要文化財)

      
長押形で飾られた白漆喰総塗籠の外壁仕上げの各重に千鳥破風、唐破風を
配置した外観で、壁には狭間や石落としなど戦いの備えがなく、窓には
五角形の縦格子にして外を眺めやすくし、すべての窓の下の腰壁には鉄砲
掛けがあり、腰程の高さにあけられた窓から直接射撃を行う設計であった。

 
藤堂高虎が創建したとされる三層三階の望楼型天守(左)を
宇和島伊達家二代目宗利が同じく三層三階で総塗籠式の層塔型(右)で
再建(現在の天守)



唐破風屋根の玄関から天守内部へ。

      

天守入口上には、丸に縦棒三本の「竪三引両紋(たてみつびきりょうもん)」
この紋は、宇和島伊達家の家紋の1つで、伊達家の始祖朝宗が奥州征伐の際に
源頼朝から拝領された紋と言われ、伊達家家紋の中でも最も古い由緒をもつ。

 

宇和島城の天守(現存)ないに入りました。現存構造物にありがちな
ニオイは、あまりしません。換気がいいのかな。

   
  1階の部屋と天守模型

   
廊下の内側に障子戸が残る形式は現存唯一とされ、
また畳敷きの名残である「高い敷居」があります。
 
  
 1階武者走り


 天守一階から見た本丸

    

2階に上がる階段は、途中で折れる踊り場付きです。





                              つづく







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