~西へ~(160)21日目⑥ 伊予国一宮 大山祇神社Ⅰ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら


備後國からここ数年流行りの「しまなみ海道」を通り、
瀬戸内海に浮かぶ大三島へ。



やって来たのは、三島神社や大山祇神社の総本社「大山祇神社」です。

   
 社号標                 鳥居の社号額
 「大日本總鎮守 大山祇神社」    「日本總鎮守 大山祇大明神」

       
            文政八年(1825)二月吉日建立

      
  日本総鎮守大山祇神社        「延喜式内社 伊予國一之宮」
 大山祇神社は、瀬戸内海のなかでも特に景勝の地である芸予海峡の中央にいちして、大小の島々に囲まれた国立公園大三島に、日本最古の原始林社叢の楠群に覆われた境内に鎮座している。御祭神は大山積大神一座で天照大神の兄神に当らせられる。
 天孫瓊々杵尊降臨の際、大山積大神、またの名吾田国主事勝国勝長狭命(大山積神の擬神体)は女木花開耶姫尊を瓊々杵尊の后妃とし、国を奉られたわが国建国の大神であらせられるが、同時に和多志大神と称せられ地神・海神兼備の霊神であるので日本民族の総氏神として古来日本総鎮守と御社号を申し上げた。
大三島に御鎮座されたのは、神武天皇御東征のみぎり、祭神の子孫・小千命が先駆者として伊予二名島(四国)に渡り瀬戸内海の治安を司どっていたとき芸予海峡の要衝である御島(大三島)に鎮祭したことに始まる。
本社は社号を日本総鎮守・三島大明神・大三島宮と称せられ歴代朝廷の尊崇、国民一般の崇敬篤く奈良時代までに全国津々浦々に御分社が奉斎せられた。延喜式には名神大社に列し、伊予国一の宮に定められ、官制に依り国幣大社に列せられた四国唯一の大社である。現在官制は廃せられたが、地神・海神兼備の大霊神として千古に変わらぬ崇敬を寄せられ、全国に奉斎される大山祇神社・三島神社の総本社として、又数万点に及ぶ宝物類を蔵する国宝の島として四季を通して多数の参拝がある。  -案内板より



 総門 翼舎(2010年造営。688年ぶりに復元)


さすが日本民族の総氏神 日本総鎮守、凄い人です。

 
           狛犬・昭和十五年(1940)十一月建立

 
  天然記念物             十七神社
 能因法師雨乞(あまごい)の楠 
日本最古の楠(樹令三〇〇〇年)で、後冷泉天皇の御代(九〇〇年前)伊予国守藤原範国(のりくに)は能因法師を使者として祈雨の為参拝させた。其の時「天の川 苗代水にせきくだせ 天降ります神ならば神」と詠じ弊帛に書付け祈請したところ伊予国中に三日三夜雨が降った(金葉和歌集)と伝えられている。 -案内板より

 
  天然記念物 
 乎知命(おちのみこと)御手植の楠 
御島(大三島)に祖神大山積大神を祭った乎知命の御手植楠(樹齢二六〇〇年)と伝えられ、古来、御神木として崇められている。 -案内板より

  
   神門 

 
  残念ながら移築の為解体工事中でした。
  高梁市川面町の大山祇神社に移築されるようです。




                              つづく







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