~西へ~(158)21日目④ 備後国一宮 素盞嗚神社Ⅰ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら


もう一つの備後國一宮「素盞嗚神社」境内西隅の近年整備されたと思われる
駐車場に旅の友・エブリイを停め、北側の道路を参道入口へ向かいます。

    
 式内社・備後一宮
素盞嗚神社
  茅の輪くぐり発祥の地
 御祭神
本殿   素盞嗚尊・櫛稲田姫命・八王子
天満宮  菅原道真公
蘇民神社 蘇民将来
疱瘡神社 比比羅木其花麻豆美神
 疫隈の里
この附近は江熊の里とよばれたところ、古くは江隈とも記された。
江は入江であり、隈はかたすみとも読める。
江ノ隈の読みから、穴の海の入江であったことが伺われる。
奈良時代には古山陽道がこのあたりを通り、海陸交通の要所となり、人の往来につれて市(江熊市)が栄えたところでもある。

 茅の輪神事
備後の國の風土記に曰く、疫隈の國社。
昔北海に坐します武塔神……南海に出てまししに日暮れぬ。
その所に将来二人ありき。
兄の蘇民将来、甚く貧しく、弟の巨旦将来、富て屋倉一百ありき……
即ち、詔りたまひしく「吾は速須佐雄の神なり、後の世に疫気あらば、汝、蘇民将来の子孫と云ひて、茅の輪を以ちて腰に着けたる人は免れなむ」と詔りたまいき。
蘇民将来「茅の輪」伝承発祥の地として、文献上、最古の記録を残すほか「疫隈の國社」として延喜式神名帳にみえる古い歴史をもっている。
現在も無病息災・厄除けを願って、この伝承に由来する「茅の輪くぐり」の神事を行っている。
素盞嗚尊は武塔天神あるいは祇園牛頭天王とも称され、出雲神話の祖である。
本社は、備後三祇園社の一社で7月の祇園祭は備後地方の夏祭りとして有名であり祭り終了日の深夜、吉備津神社の宮司・禰宜が当社に参詣し「無言の神事」が行われている。
明治初期まで神仏習合の一時期「早苗山天龍院天王寺祇園社」と呼ばれたこともあり、早苗の松の伝承を残した。 -案内石碑より


   
  大鳥居(元禄年間(1688-1704)建立)


  「八紘一宇」 随神門 「武運長久」

       
            随神門の前の狛犬(文政三年(1820))


 東から真っ直ぐに続く参道の先に舞殿を見る

広い境内では地元の方が、グラウンドゴルフをしてました。


 ちょこっと珍しい邪鬼が支える鉄製水鉢

     
      鉄製水鉢(明治三十五年六月奉納)


 拝殿(入母屋造、向拝付唐破風、瓦葺、飛び狛犬がのる)

 
     拝殿前の狛犬(明治四十二年(1909)七月吉日建立)


 本殿
(平面は大社造りと同じくほぼ正方形の入母屋造、千鳥破風、檜皮葺)




                              つづく







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