近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
式内社(名神大社)、美作国一宮。旧社格は国幣中社で、
現在は神社本庁の別表神社の中山神社にきております。


神門手前の狛犬?神獣猿?

中山神社神門(市指定重要文化財、昭和50年11月15日指定)は、もと津山城二ノ丸の四脚門で、廃城後の明治7年(1874)に中山神社に移築されたものです。
本柱二本と控柱二本からなる薬医門形式で、屋根は切妻造、桧皮葺です。柱や梁には太いケヤキを用いており、あまり装飾を加えず、軒を高くしているところなど、いかにも城門らしい建物です。 -案内板より

神門をくぐると、正面に中門、拝殿、本殿と続いています。

中門と随垣

中門から見た拝殿

拝殿を通して見る本殿

拝殿と本殿


中山神社本殿(国指定重要文化財、大正3年4月17日指定)は、「作陽誌」等によると戦国時代に兵火に遭ったものを永禄2年(1559)に戦国大名の尼子晴久が再建したものと伝えられています。入母屋造、妻入で向唐破風の向拝を有するこの本殿は、「中山造」と呼ばれる美作地方独特の神社建築様式であり、中山神社本殿を最古の例としています。 -案内板より

中山神社
美作国の一の宮として高い社格と農耕の神 牛馬の守護神として広く人々の信仰をあつめてきた 中山神社は、鏡作命を祭神として、慶雲四年(七〇 七年)創建され、その後戦国時代の天文二年(一五三三年) 尼子氏の美作攻略のとき兵火により焼失したが、永禄二年(一五五九年)尼子晴久によって再興された。
その構造は室町末期のもので、安土桃山時代への過渡期の特徴を具有し、単層入母屋妻入り造り、桧皮葺きの本殿は中山造りと呼ばれ、他地方には例を見ず、 大正三年(一九一四年)国の重要文化財に指定され、美作一円の神社建築の手本となっている。
広い境内の神社正面入口の鳥居は寛政三年(一七九一年) の建設であり、角貫に木鼻がなく笠木と島木にそりをもたせて壮大美を強調してあり他地方には例をみない中山鳥居として一形式をつくっている。参道を歩み御手洗川の石橋を渡れば津山城の大手二の丸にあった四足門を移した(一八三四年)表神門、本殿庭には寛文八年(一六六 八年)津山藩森忠継奉納による燈籠二基がある。
更に中山鳥居の南道路べりにある「祝木のケヤキ」(市指定文化財)は樹令八〇〇年と推定され広い洞内には 「祝木の神」大国主命をまつった小祠があり、目通り 八・三〇米、樹高一〇・五米は県下一の巨樹である。 その他中門前の右手には推定樹令五〇〇年というセンダンの幹に、ヤマザクラ他各種多様な植物が着生し、さながら植物の見本市を催しているなど、 植物・鳥類・昆虫の宝庫である。
-案内板より

神楽殿


惣神殿 津山市指定文化財 平成20年(2008年)10月30日指定
江戸時代、寛保元年(1741)の造営


鉾立石 国司神社(祭神:大国主命)
社殿の左後方に鳥居が建ってましたので、行ってみました。



猿神社(祭神:猿多彦神)
(今昔物語巻第二十六 第七 「美作國の神、猟師の謀によりて生贄を止めし語」はこの神社に由来か)

美作国一宮 中山神社
御朱印
つづく
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