近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
曇よりした天気の19日目。目的地に向かう途中に少し雨が落ちてきました。

が、備前国一宮 吉備津彦神社に着く頃には、何とかあがったみたいです。


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吉備津彦神社は、夏至(太陽の力が最も強い日―6月21日)の日出には太陽が正面鳥居の真正面から昇り神殿の御鏡に入ることから「朝日の宮」とも称されてきました。この事は古代太陽信仰の原点、太陽を神と仰ぎ日本民族と人類の豊穣発展と幸運を祈る神社として吉備津彦神社が創建されたことを象徴しています。
-吉備津彦神社公式Webより


由緒
当神社は古代より背後の吉備の中山に巨大な天津磐座(神を祭る石)磐境(神域を示す列石)を有し、山全体が神の山として崇敬されてきました。第10代崇神天皇の御世に 四道将軍 として遣わされた大吉備津彦命もこの山に祈り 吉備の国 を平定し、現人神として崇められました。諸民と国を深く愛し、永住された吉備中山の麓の屋敷跡に社殿が建てられたのが当神社のはじまりとなります。後に佛教が入り正宮、本宮、摂末社合わせて51社を具え神宮寺や法華堂も建ちいよいよ御神威は広大無辺に広がり古代気比大神宮・大社吉備津宮とも称され朝廷直属の 一品一宮、吉備大明神として武将庶民に至るまで厚く崇敬されてきました。
-吉備津彦神社公式Webより


鳥居をくぐると、左手に「神池」正面に神門と大きな灯篭が見えてきます。

隋神門 元禄10年(1697)池田綱政公が造営

大灯篭(安政六年(1859)建立)
6段づくり、高さ11.5m.、笠石8畳の日本一大きな燈籠。
神門をくぐると、石段の先に立派な拝殿が。

拝殿


御祭神
主祭神 大吉備津彦命(大吉備津日子命)(おおきびつひこのみこと)
-別名 比古伊佐勢理比古命 第七代孝霊天皇の皇子


相殿神
吉備津彦命(若日子建吉備津彦命、稚武彦命)大吉備津彦命の弟または子
孝霊天皇(第七代天皇)大吉備津彦命の父。
孝元天皇(第八代天皇)大吉備津彦命の兄弟。
開化天皇(第九代天皇)孝元天皇の子。
崇神天皇(第十代天皇)開化天皇の子。
彦刺肩別命(ひこさしかたわけのみこと) 大吉備津彦命の兄。
天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)
第五代孝昭天皇の子。
大倭迹々日百襲比売命(おおやまとととひももそひめのみこと)
大吉備津彦命の姉。
大倭迹々日稚屋比売命(おおやまとととひわかやひめのみこと)
大吉備津彦命の妹。
金山彦大神
大山咋大神

拝殿ない
つづく
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