~西へ~(143)18日目⑧ 讃岐国一宮 田村神社Ⅰ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
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神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら


阿波國から、讃岐國一宮「田村神社」にやってきました。


高麗門(神門)をくぐり、参拝です。 


ご祭神は、
倭迹迹日百襲姫命 (やまとととひももそひめのみこと)
五十狭芹彦命 (いさせりひこのみこと)
別名を吉備津彦命(きびつひこのみこと)
猿田彦大神 (さるたひこのおおかみ)
天隠山命 (あめのかぐやまのみこと)
-別名を高倉下命(たかくらじのみこと)
天五田根命 (あめのいたねのみこと)
-別名を天村雲命(あめのむらくものみこと)
以上の5柱をお祀りしており「田村大神」と総称します。

    

 ご由緒
当社の起源は極めて古く社記によれば和銅二年(709)に社殿が創建されたとあり往古より「田村大社」「定水大明神」又は「一宮大明神」とも称され、人々より篤く崇敬されてきた。
嘉祥二年(849)従五位下に叙せられ貞観三年(861)官社となり名神大社に列せられ、讃岐國の一宮に定められて後は神階を授けられ建仁元年(1201)正一位の極位に叙せられた。
当社の奥殿の床下には深淵があり、厚板でこれを覆い殿内は盛夏といえども凄冷の気が満ちていて古くから神秘を伝えている。又領内で水旱があれば領主奉行は必ず先ず当社に祈願したといい、定水大明神と称される所以である。
奥殿深淵には龍が棲み、覗いたものは絶命するとされて、開かれたことがない。
古来、讃岐は雨が少なく、古代から溜池が作られてきたが、当社付近は香東川の伏流水が多い地域で、農耕に欠かせない湧き水への信仰が、祭祀につながったと考えられている。 -田村神社公式Webより



 幣殿拝殿 入母屋造り。明治十年再建


 奥殿本殿
春日造り。宝永七年(1710)松平氏の造営。
御神座は奥殿にあり奥殿の前方は本殿に接続し、床下に深淵があるのは
洵に社殿構設上の異例である。


      

続いては、本殿左手(向かって右)に鎮座しております、
摂社の「宇都伎社」に拝礼します。



ご祭神は、大地主神、倉稻魂神で、ございます。

 
 宇都伎社
本殿 春日造り。幣殿拝殿 入母屋造り。昭和六十二年再建

     
 素婆倶羅社    
本殿 春日造り。幣殿拝殿 入母屋造り。平成十四年再建

      
   天満宮                  天満宮本殿
 幣殿拝殿 入母屋造り。平成十七年再建

  
 伊勢神宮遥拝殿              本殿横に鎮座する姫之宮





                             つづく







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