~西へ~(142)18日目⑦ 阿波国一宮 大麻比古神社Ⅱ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら


通称「大麻さん」とも呼ばれる阿波國一宮 大麻比古神社にきております。



本殿の背後にも道が続いてますので散策、境内社に拝礼します。

 
 奥宮峯神社遥拝所

 
 豊受者(豊受大神)              山神社(大山祇神)

 
 中宮社(豊受大神)          西宮社(天照皇大神)



 心願の鏡池・メガネ橋

   
  心願の鏡池 (左)
第1次世界大戦のさなか、中国青島(チンタオ)の戦いで捕虜になったドイツ兵士 約千人が 大正6年から9年にかけて異郷の地 板東俘虜収容所に過ごした。
ドイツ兵士達が、遠い祖国を偲びながら1日も早く故国に帰れることを願いつつ当神域を散策し、記念のため境内に池を掘ってメガネ橋を配し、小谷にドイツ橋を架けた。
板東の地で、日々を送った兵士達は、地元の人々と国境を超えた暖かい友情で結ばれ、今も尚、日独友好の灯をともし続けている。
以来70有余年を経て、この度 当神社では神池を拡張し、メガネ橋の周辺を整備して、「心願の鏡池」と命名した。
 平成4年3月吉日 
 阿波国一の宮 大麻比古神社 社務所 -案内板より
 

  ドイツ橋 (右)
 第1次世界大戦の際、中国の青島で捕虜となったドイツ兵953人が、大正6年から9年までの間、大麻町桧の板東捕虜収容所に収容されていました。この間地元の住民との間に”国境を越えた人間愛と友情”がめばえ、高い水準のドイツ文化が伝えられました。バターやチーズの製法、博覧会の開催、楽団による演奏会等地元の発展に大きく貢献しました。
 帰国を前に記念として母国の土木技術を生かし近くで採れる和泉砂岩を使ってドイツ橋が造られました。
               四国の道 環境庁 徳島県  -案内板より


       
ドイツ橋


大麻比古神社は、何となく心地よい神社でいた。


        
         阿波国一宮 大麻比古神社
             御朱印



                             つづく







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