~西へ~(140)18日目⑤ 阿波国総社 大御和神社 | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら


阿波国の総社と推定される神社は、観音寺「八幡総社両神社」の
すぐ近くにもう一社あります。大御和神社(おおみわじんじゃ)です。



八幡総社両神社を出て東へ約400m、左手に玉垣が見え、左折すると到着。

      

「延喜式神名帳」に記載された式内社で、旧縣社です。

   
 大御和神社 略記 (左)
祭神 大己貴命(大国主命)
 由緒
延喜式内小社で府中の宮と親しまれている。
王朝時代国司政庁が此の地におかれ阿波国古代の祭政の中枢となったが、その国府の鎮守として、国分寺と共に、累代国司の崇敬が厚かった社である。
本社は国璽の印及び国庫の鑰を守護せられし神徳により印鑰大明神と称したと伝えられる。「印鑰」即ち国司の宝印と諸司の蔵のかぎが紛失せぬように祈り、又神社の中に保管したという。明治3年大御和神社と奉称し、同5年郷社に列せられ昭和11年県社に昇格した。
-案内板より


  大御和神社由緒 (右)
祭神  大己貴命
 大己貴命は須佐之男命の神孫にして神代の昔少彦名命と共に我国土の開発経営に努め給い産業の発達を計られた  開拓の祖神として尊奉り又天孫由緒記は…
当社の創立は最古にして之を詳とする語は らも人皇第42代文武天皇大宝2年当国国司より国霊の印及国庫の鑰を献納せられしに因り爾後印鑰大明神と奉称され累代国司の崇敬厚く神地神領等の寄進あり社頭の隆昌と祭儀の丁重を極められた。又醍醐天皇の延喜5年勅命を以て全国著名な古社を選び延喜式神名帳を作らしめ給うに際し当社は右神名帳に登録されたる即ち式内神社たり。明治3年社名を奉称して大御和神社と称し奉り、明治5年郷社に列格され昭和11年県社に昇格せらる。 -案内板より




「府中の宮」(こうのみや)、印鑰(いんやく)大明神とも呼ばれてます。


 拝殿(よく見ると屋根の上に鯱と狛犬がいます)

        
              狛犬:寛政元年(1789)6月建立


 向拝の彫刻


 拝殿ない(奉納額)

 
 本殿(背面・側面)



 境内社

 
 江之島神社                 稲荷神社   若宮神社





                             つづく







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