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徳島藩蜂須賀氏二十五万石の居城・徳島城の大手門跡を通り、表御殿跡に。

徳島城表御殿の跡地には、現在、徳島市立徳島城博物館があり、
徳島藩と蜂須賀家に関する歴史資料が展示公開されていました。
(残念ながら、館内は撮影禁止でした)


博物館を見学して、表御殿の庭園を散策します。









表御殿の庭園を出て、山城部を目指します。


蜂須賀家政公銅像
永禄元年(1558年)~寛永15年(1638)
蜂須賀家政公(藩祖)は、天正13年(1585)豊臣秀吉の四国平定の大功により阿波一国をたまわり、天正14年(1986)に一宮城から中世に築造された渭津城を修築して徳島城とし、藩政の中心地とした。入国の後は、藍、塩などそれまで阿波になかった産業を取り入れ、新しく製塩、製藍など工業を起こし盛んに日本中に売り広めた。また、全国でも有名な阿波踊りも家政公時代に始まったと伝えられる。
戦前は、野太刀と長槍を持った甲冑姿の蜂須賀小六正勝公(家祖)の銅像が立っていたが、戦時中に供出されてしまった。それが昭和40年(1965)に裃姿の家政公の銅像に生まれ変わった。
・台石 高さ2m。幅1.8m
・銅像 約2m
・竣工 昭和40年1月1日 -案内板より


ICテンダ機関車 8620形式 68692号
全長 6m765 石炭積載量 6t
全巾 2m581 水槽容量 120m3
全高 3m785 動輪直径 1m60
運転整備重量 82.33t 使用圧力 12.0kg/cm2
空車重量 60.04t ブレーキ装置 空気ブレーキ
最高速度 90km/h シリンダ直径・行程 470×610mm
馬力 650馬力 製造年月日 大正12年1月6日
走行行科/3,1769439科 地球約79周
使用期間/自 大正12年11月6日~至 昭和45年1月7日
製作所/日立製作所


8620形式蒸気機関車
この蒸気機関車は大正12年から徳島の町や野を走り、山や谷をめぐって「汽車ポッポ」の愛称で親しまれてきましたが、昭和44年7月22日、徳島ー小松島間の運行を最後に鉄道からその姿を消しました。
この間46年、数多くの人達に利用され鉄道沿線はもとより徳島全域の産業、経済、文化の発展に大きな役割をはたしました。このたび本市では昔をしのび、なつかしい「8620形式蒸気機関車」の勇姿を永久にのこすため日本国有鉄道にお願いしてここに保存することにいたしました。 -案内板より
つづく
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