~西へ~(123)15日目② 淡路国一宮 伊弉諾神宮Ⅱ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
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 伊弉諾神宮 御由緒
古事記・日本書紀には、国生みに始まるすべての神功を果たされた伊弉諾大神が、御子神なる天照大御神に国家統治の大業を委譲され、最初にお生みになれた淡路島の多賀の地に「幽宮(かくりのみや)」を構えて余生を過ごされたと記される。その御居住跡に御陵が営まれ、至貴の聖地として最古の神社が創始されたのが、當神宮の起原である。地元では、「いっくさん」と別称され日少宮(ひのわかみや)・淡路島神・多賀明神・津名明神と崇められている。
本殿の位置は、明治時代に後背の御陵地を整地して移築されたもので、それ以前は、禁足の聖地であった。御陵を中心として神域の周囲に濠(ほり)が巡らされたと伝へ、正面の神池や背後の湿地はこの周濠の遺構という。
建物や工作物は、明治九年から同二十一年に官費で造営されたものが殆んどだが、神輿庫及び東西の御門は、旧幕時代の阿波藩主の寄進による。
境内地は、約一万五千坪。沖積地にあって天然記念物の大楠など照葉樹林に覆われ、四季を彩る草木が繁茂する日本最古のお社である。江戸時代の地誌によれば、二丁四方の社地を領したとあり、広大な神域であった。 -参拝の栞より



境内を回ります。

    
  左右神社

    
  根神社 竈神社

    
  鹿島神社 住吉神社

    
  岩楠神社 祭神:蛭子命

     

   
  県指定文化財 伊弉諾神宮の夫婦クス(左)
指定年月日 昭和48年3月9日
所有者・管理者 伊弉諾神宮
 根廻り12.40メートル、目通り、周囲8.00メートル、幹は地上2.25メートルで二つの支幹に分かれ、それぞれの幹囲は、5.35メートルと3.75メートルである。一方の支幹の地上7メートルの部分と他方の支幹の地上6メートルの部分で再び分岐している。樹高約30メートル、枝張りは南へ約16メートル、北へ約12メートルある。樹形は一部茎葉の枯損によって、外観上劣るが、樹勢は全体としてまだ旺盛である。樹齢は約900年といわれている。
 クスノキは兵庫県の県樹であり、県指定の伊丹市法巌寺、西宮市海清寺および川西市小戸神社などの大クスとともに貴重な文化財として保存されている。
   平成7年2月   兵庫県教育委員会  -案内板より


 夫婦大楠(右)
伊弉諾神宮の御祭神は、伊弉諾大神伊弉冉大神で夫婦の正道の掟を定められた皇祖の大神様です。
元は二本の「楠」がいつしか根を合わせて一株に成長したもので、御神霊が宿り給う御神木と信仰されており、淡路の古地誌にも「連理の楠」と記されています。
岩楠神社には蛭子大神を祀り、夫婦円満、良縁縁結、子授け、子育ての霊験あらたかと崇敬されています。 -案内板より


 
    
    淡路祖霊社
全ての兵者に敬意を表しますと共に、英霊の御霊に感謝の誠を捧げます。

     
   伊勢皇大神宮遥拝所
この真東に伊勢の皇大神宮が鎮まる。
北緯34°27’23’の同経度上にあり、両宮の中央に明日香藤原京がある。
皇大神宮の祭事にあわせて遥拝式が行われる場所。 -案内板より


   







         
           淡路一宮 伊弉諾神宮
              御朱印



                             つづく







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