近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
15日目。少し疲れがありますが、気分は上々で出発です。


本日最初に訪れたのは「淡路国一宮 伊弉諾神宮」であります。


幽宮(かくりのみや)
日本書紀神代巻に「是以構幽宮於淡路之洲」とあり、神功をはたされた伊弉諾大神が、御子神の天照皇大御神に国家統治の大業を委譲され、最初に生まれた淡路島に帰還され、多賀の地に幽宮を構えて余生を過ごされたと伝えています。この地で終焉の時を迎えられた伊弉諾大神は、その住居の跡に神陵を築いて(現本殿の位置)お祀りされ、これが最古の神社である伊弉諾神宮の創祀の起源だとされています。 -伊弉諾神宮公式Webより

天皇陛下御即位二十年記念 敬神生活の綱領 さざれ石(熊本県産)
国歌 君が代

中之鳥居

放生の神池と延喜宮
神前の御池は、「放生池」とも呼ばれ、古くは放生神事(鳥や魚を放して生命の永続を祈る行事)が行われていました。今でも病気平癒のための命乞に「鯉」を放ち、快癒の感謝に「亀」を放つ信仰習慣があります。この池は、元は本殿後背の森を隔てる「ため池」と連結して、神陵の周囲に巡らされた濠の名残とされ、後世になって増援整備が行われたものです。-伊弉諾神宮公式Webより

神橋を渡ると堂々たる構えの表神門

表神門 明治十六年(1883)随神門を改修


伊弉諾神宮
御祭神 伊弉諾大神 伊弉冉大神
御社格 延喜の制 名神大社 淡路一宮 (元)官幣大社
古事記に故其伊邪那岐大神は淡路の多賀になも座すなり、日本書紀に伊弉諾命尊 是を以て幽宮(かくりのみや)を淡路の洲につくり静かに長く隠りましきとあり。淡路の島は二柱の大神が一番始めに御開拓になった地であり、この多賀は伊弉諾大神が国土経営の神業をおえられた後お鎮座遊ばされた御終焉の地で大神の御陵がそのまま神社として祀られるようになった我が国最古の御社である。 -案内板より

拝殿(兼舞殿) 入母屋造、銅板葺。

拝殿ない

中門・幣殿と連結した本殿


本殿
形式は、三間社流れ造向拝付で、屋根の桧皮葺き(ひわだふき)は前方の幣殿と連結して、一屋根にみせている本殿大床下には、神陵に築かれていた数十個の聖なる石が格納されています。 -伊弉諾神宮公式Webより
つづく
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