近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
徳川幕府が西国の外様大名の抑えの城として、交通の要衝・明石に築城した
「明石城」の本丸に到着です。

巽櫓(たつみやぐら)重要文化財
本丸の南東端に築かれた三層の櫓である。桁行き5間(9.09m)、梁間4間(7.27m)、高さ7間1寸(12.19m)の隅櫓で、妻部を東西に置く入り母屋づくりになっています。

本丸跡


巽櫓(左)と坤櫓(右)は、棟(破風)の方向が異なって建てられています。


本丸土塀の狭間から見た大手方面 坤櫓(ひつじさるやぐら)

坤櫓(ひつじさるやぐら)重要文化財
天守閣が造られなかった明石城では最大の規模をもつ櫓です。天守台のすぐ南にあり、天守閣に変わる役割を果たしたとみられます。桁行6間(10.90m)、梁間5間(9.09m)、高さ7間2尺9寸(13.60m)、の入り母屋づくりで、妻部を南北に向け、棟の方向が巽櫓とまったく異なっています。

天守台


天守台は、約152坪があり、5重規模相当の天守が築ける広さがある。
が、昨日登城した篠山城と同じで天守が築かれることはなかった。

乾櫓跡(本丸北西の角)

本丸北側の虎口

本丸の西側、一段下にある稲荷曲輪(左は本丸の石垣)

稲荷曲輪北側虎口
ここからも下り坂になっている事からも城の主要部は、高い位置に
ある事がわかります。(明石城の城郭構造:連郭梯郭混合式平山城)


堀代わりに利用する事ができた池(桜堀)
(これらの池がある事も築城の地に適していた)
つづく
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