近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
慶長十四年(1609)に徳川家康の命により、大阪城攻めの備えと
西国大名へのおさえの拠点とし築城された篠山城に登城してます。

城址北側・大手側にきました。

東側→から見た大手道

篠山市公式Web「CDによる篠山城再現」をお借りし印しを付けました。

北廊下門から二の丸へ向かいます。
古絵図によると、三の丸から二の丸へ上がる大手は、延長100mの範囲に
北廊下門、表門、中之門、鉄門が配置された造りとなっております。

北廊下門は、内堀部分の土橋上に建てられた奥行約18m、
幅約5mの細長い廊下状の門です。

表門跡
表門は、幅約5m、奥行約5mで上部は渡櫓となっている櫓門です。


どうやら枡形が2つ続いている虎口のようです。
(大きな筋違い虎口に仕切り門(中門)を入れた感じ)

篠山市公式Web「CDによる篠山城再現」をお借りし印しを付けました。

鉄門跡
二の丸へ至る最後の門跡で呼び名の通り門扉には鉄板が張られていたと考えられます。調査の結果、門跡は廃城後の明治時代にやく1.5m埋められていましたが、埋土を取り除いたところで、門跡の敷石と階段跡などの遺構が江戸時代の姿で発見されました。これによって鉄門は幅約5m、奥行約4.5mの広さがあり、東側の石垣高さ約4m、西側の石垣高さ4.5mとの間に造られた厳重な構造であったことが明らかになりました。
二の丸上り口の整備にあたり鉄門跡の範囲を自然石による敷石で示しています。
-案内板より

城内側から見た鉄門跡(大手虎口)

篠山市公式Web「CDによる篠山城再現」をお借りし印しを付けました。
つづく
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