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丹波国総社 宗神社から「丹波國一宮 出雲大神宮」にやってきました。


出雲大社現宮司 千家尊祐氏揮毫 出雲大社元宮司 千家尊福氏揮毫


参道脇の宮池に鎮座する「辨財天社」


出雲大神宮由緒
当宮には大国主命とその后神三穂津姫命御二柱の御神格を併せて主宰神と称し祀り他に天津彦根命天夷鳥命を祀る。
殊に三穂津姫命は天祖高産霊尊の御女で大国主命国譲りの砌天祖の命により后神となり給う 天地結びの神即ち縁結びの由緒亦ここに発するもので俗称元出雲の所以である
日本建国は国譲りの神事に拠るところであるが丹波の国は恰も出雲大和両勢力の接点にあり此処に国譲りの所由に依り祀られたのが当宮である
古来大平和の御神意に依り国と国人と人総ての結びの大神を祀るとして上下の尊崇極めて篤かった 崇神天皇再興の後 元明天皇和銅二年に始めて社殿を造営現社殿は鎌倉時代の建立にして(重要文化財)それ以前は御神体山の御陰山を奉斎し古来より今尚禁足の地である又御陰山は元々国常立尊の鎮まり給ひし聖地と傳えられている
(式内)名神大社、丹波国総社一之宮
(御階)正一位
(社名)正しくは出雲大神宮、千年宮、出雲神社
(摂末社)古は三十六ヶ所あったが兵火に失われ現在は上の社、黒太夫社、笑殿社、春日社、稲荷社、崇神天皇社あり
一、神宮寺 明治4年出雲極楽寺に借地移転す、現在の十一面観音菩薩像は重要文化財
一、例大祭 10月21日
一、私大祭 4月18日 当日無形文化財風流花踊奉納
一、古墳 横穴式 五世紀~六世紀前 前方後円墳車塚古墳は当宮の口碑あり 推定は成務天皇代
一、古代の神域は愛宕山を含み飛地境内が所々にあり 京都大原野神社は飛地領なり -案内板より

真名井のいずみ
古来より絶えず流れ続ける真名水の水は大神様の御恵みであり、その御神陰を頂いて田畑が潤い、秋には山吹色に色色付いた稲穂が収穫される事から、その水は自ずと御神水と奉られてきまいた。
「千年山これやむかしのさされ石は ほにふかき苔のいろかな」
これは宗尊親王が詠まれた和歌ですが、藤原為章によれば、古歌や旧紀に載す千年山とは御影山を指すとしてます。
御神体山中の静けさに響く清らかな御影の瀧の水音を聞けば、自ずと神聖さを感じずにはいられない事でしょう。
丹波国一之宮 出雲大神宮 -案内板より

夫婦岩(右奥:真名井のいずみ)

古くは御蔭山を神体山として祀る信仰があったとされ、
社殿は和銅二年(709)に創建されたと伝える。


吉田兼好の書いた徒然草の中に「出雲大神宮」が出てきます。
徒然草 第二百三十六段「丹波に出雲といふ所あり」
丹波に出雲といふ所あり。大社(おおやしろ)を移して、めでたく造れり。しだのなにがしとかやしる所なれば、秋の比(ころ)、聖海上人(しょうかいしょうにん)、その外も、人数多(あまた)さそひて、「いざ給へ、出雲拝みに。かいもちひ召させん」とて、具しもて行きたるに、各(おのおの)拝みて、ゆゆしく信おこしたり。御前(おまえ)なる獅子・狛犬(こまいぬ)、背きて、後(うしろ)さまに立ちたりければ、上人いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ちやう、いとめづらし。深き故(ゆえ)あらん」と涙ぐみて、「いかに殿原(とのばら)、殊勝の事は御覧じとがめずや。無下(むげ)なり」と言へば、各(おのおの)怪しみて、「誠(まこと)に他(た)にことなりけり。都のつとに語らん」など言ふに、上人なほ床しがりて、おとなしく物知りぬべき顔したる神官(じんがん)を呼びて、「この御社(みやしろ)の獅子の立てられやう、定めて習ひあることに侍らん。ちと承らばや」と言はれければ、「その事に候。さがなき童どもの仕りける、奇怪に候ふことなり」とて、さし寄りて、据ゑなほして往(い)にければ、上人の感涙いたづらになりにけり。
=口語訳=
丹波に出雲という所がある。出雲大社を勧請して、見事に社殿を造っている。しだの某とかいう者の領有する所なので、秋のころ、聖海上人が、その外にも、人を多く誘って、「さあ、参りましょう。出雲を拝みに。ぼたもちを御馳走しますよ」といって、連れて行った所、めいめい拝んで、深く信心を起こした。
神社の御前にある獅子と狛犬が、背中あわせに、後ろ向きに立っていたので、上人はたいそう感心して、「ああ素晴らしいことよ。この獅子の立ちっぷりは、大変珍しい。深いいわれがあるのだろう」と涙ぐんで、「いかがです皆さん、こんなありがたいことを不思議に思わませんか。いけませんなあ」と言ったので、めいめい不思議がって、「本当に、他と違っている。都のみやげ話に語ろう」など言っていると、上人はさらに由来を知りたがって、年配で物を知っていそうな顔をした神官を呼んで、「この神社の獅子の立てられようは、きっといわれがいることに違いございません。少し伺えましょうか」とおっしゃると、「その事でございます。いたずらな子供たちがやったのでございます。けしからんことでございます」といって、近くに寄って、据え直して去って行ったので、上人の感激の涙は無駄になってしまった。

拝殿(入母屋造妻入、檜皮葺。舞殿形式)明治十一年(1878)造営

島根県出雲市に鎮座する「出雲大社」明治時代に至るまで「杵築大社」を
称していたため、江戸時代末までは「出雲の神」と言えば出雲大神宮を
指していたとされます。

舞殿形式の拝殿を回り込み、中門まで行く事が出来ます。

本殿 (三間社流造 檜皮葺)貞和元年(1345)改修 (重要文化財)

船岩

丹波国一之宮 出雲大神宮
御朱印
つづく
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