近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
続いて訪れたのは、三大八幡宮のひとつ「石清水八幡宮」です。


石清水八幡宮は、伊勢神宮とともに二所宗廟の一社。旧社格は官幣大社で、
現在は神社本庁の別表神社。また宮中 四方拝で遥拝される一社であります。

鎮座する八幡市・男山は、木津川、宇治川、桂川が合流し淀川となる地点を
挟んで天王山と対峙する位置にあり、古くから交通の要地でした。
また、京都の南西の裏鬼門にあたります。

天皇の貞観元年(859)南都大安寺の僧・行教和尚は豊前国宇佐神宮にて
「われ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との御託宣を蒙り、
男山の峯に御神霊を御奉安申し上げたのが当宮の起源とされます。
翌貞観二年(860)年、清和天皇が社殿(八幡造)を造営、御遷座。
天慶二年(939)伊勢神宮に次いで奉幣される地位を得、伊勢の神宮に
次ぐ第二の宗廟とも称されました。ご皇室・朝廷からは、京都の裏鬼門を
守護する王城守護鎮護の神、王権・水運の神として篤く崇敬され、
天皇の行幸や上皇の御幸は、円融天皇(第64代)の行幸以来、実に240余度
にも及びます。
また清和源氏の武田氏・徳川氏・今川氏・足利氏などの源氏諸氏族から
氏神として崇敬され、当社の分霊は源頼義公による壺井八幡宮や頼義公・
頼朝公による鎌倉の鶴岡八幡宮など、数多くの八幡宮に勧請されました。


書院石庭(重森三玲作)
数多くの名庭を手がけた昭和を代表する作庭家・重森三玲により昭和27年に作られた石庭。南北約8m、東西約6mの方形のなかに白砂が敷き詰められており、八幡大神様の「海神」としての神格に因んだ海洋を表しています。白砂の上にはもともと男山に散在していた石14個を大海原に浮かぶ島に見立てて配し、三尊石を組んだものもあります。
15個目の石として、石庭の東南の角には「永仁三(1295)年未乙三月」の刻銘が入った鎌倉期の石灯籠が配置されており、当宮にある450基ほどの石灯籠のなかで唯一、国の重要文化財に指定されています。

白砂が眩しい庭。とても気に入ってしまいました。

御羽車舎

南総門
つづく
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