~西へ~(103)12日目⑥ 建勲神社 | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら


戦国時代の武将をお祀りする神社には、武田信玄公(武田神社)、
上杉謙信公(上杉神社・春日山神社)徳川家康公(各地の東照宮)、
豊臣秀吉公(豊國神社)他武将と拝してきました。そして、

     

本日最初の神社は、織田信長公をお祀りする「建勲神社」です。
(信長公は、安土城の「信長廟」に続いての拝礼です)

 
 建勲神社
御祭神 織田信長公
 織田信長公は戦国の世を統一して民衆を疲 弊絶望から救い、伝統文化に躍動の美を与え、 西洋を動かす力の源を追求して近代の黎明 へと導かれた。その為、信長公は行き詰った 旧来の政治、社会秩序、腐敗した宗教等を果敢 に打破し、日本国民全体の日本を追求された。
 明治天皇より特に建勲の神号を賜い、別格 官幣社に列せられ、ここ船岡山に大生の神と して奉斎されている。
  末社義照稲荷社
 宇迦御霊大神、国床立大神、猿田彦大神の 三柱の大神を祀り、古くより秦氏の守護神と して今日の西陣織の祖神をなしている。
 伏見稲荷大社命婦社は船岡山の霊狐を祀っ ており、伏見稲荷の元宮として古来よりの信 仰が絶えません。
  船岡山(全山史跡、風致地区)
 船岡山は標高四十五米、周囲千三百米、面 積二万五千坪の優美な小山であり、その東南 側は建勲神社境内で特にうっそうとした森に 被われている。豊臣秀吉の頃より信長公の霊 地として自然がそのまま残され、京都盆地特 有の樹相が良く保たれている。樹種が極めて 多く、帰化植物がほとんど入り込んでいない 京都市内で数少ない貴重な森とされている。
 船岡山は聖徳太子の文献にもその名が出て おり、又、京都に都が定められた時、北の基 点となり、船岡山の真南が大極殿、朱雀大路 となった。平安期の昔には清少納言が枕草子 で「丘は船岡・・・」と讃え、又、大宮人の清遊 の地として多くの和歌が残されている。
 船岡の若菜つみつつ君がため
     子の日の松の千代をおくらむ(清原元輔)
戦国時代の応仁の大乱の際、この船岡山が西 軍の陣地となり、以来船岡山周辺一帯は西陣 の名で呼ばれている。 -案内板より

 
 「敦盛」歌碑
人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢まぼろしの如くなり 
ひとたび生を得て 滅せぬもののあるべきか 
 桶狭間の合戦出陣に際し織田信長公が舞われた「敦盛」の一節を刻んだ歌碑。



手水舎
 拝殿の東南方に所在する。桁行1間梁間1間、東西棟の切妻造檜皮葺で、緩い勾配とする。礎石上に方柱をたて、内法貫で固め、舟肘木を介し、虹梁や桁を支持。豕叉首を組み、軒は一軒疎垂木。周囲に菱格子欄間を置く。化粧屋根裏天井で、中央に石製水盤を置く。
 平成20年(2008)に国の登録有形文化財に指定。 -建勲神社公式Webより


    
 本社                        手水舎
祭神    贈太政大臣正一位  織田信長公
   配祀 左近衛中将       織田信忠卿 
七月 一日   例 大祭
十月十九日   船岡大祭
織田信長公は戦火の巷と化した応仁の大乱に終止符を打ち、民衆を疲弊絶望から救い、伝統文化に躍動の美を与え、新秩序を確立して日本史に近代の黎明を告げ、西洋を動かす力の源を追求し、悠然として東西文化交流を実行した。明治天皇より特に建勲の神号を賜い、別格官幣社に列せられ、ここ船岡山に大主の神として永遠に奉斎されている

 末社
祭神 宇迦御霊大神
    国床立大神
    猿田彦大神

        

「建勲神社」正しくは「たけいさおじんじゃ」と読むが、一般には
「けんくんじんじゃ」と呼ばれ、通称は「建勲(けんくん)さん」


拝殿
 本殿の東方に位置する吹放ちの拝殿。桁行2間梁間3間で、四周に切目縁をまわす。入母屋造妻入檜皮葺で、妻を木連格子とする。拭板敷で、折上小組格天井を張る。軒反の大きい優美な外観になる。
 内側に織田信長公三十六功臣のうち十八功臣の額を飾る。
 平成20年(2008)に国の登録有形文化財に指定。 -建勲神社公式Webより


 

神紋は、五瓜に唐花紋(通称、木瓜紋で、信長公の家紋です)


 拝殿ない


神門(祝詞舎)
 本殿の前方に位置する。桁行1間梁間1間で、前寄り柱筋に両開戸をたてる。切妻造妻入檜皮葺。円柱で、柱上に舟肘木を置き、内法貫や虹梁、桁で固める。梁行中備に蟇股を置き、妻は豕叉首。緩い起こり屋根に、一軒疎垂木とし、穏やかな表情を見せる。
 平成20年(2008)に国の登録有形文化財に指定。 -建勲神社公式Webより


      
本殿
 船岡山山頂に東面して建つ。一間社流造檜皮葺。四周に組高欄付縁をまわし、正面に木階、浜床、浜縁を付ける。身舎は円柱、向拝は面取方柱。組物は舟肘木で、妻は豕叉首。二軒繁垂木とし、打越垂木を疎垂木とする。簡明な意匠になる近代本殿の好例である。
 平成20年(2008)に国の登録有形文化財に指定。  -建勲神社公式Webより


 
              建勲神社 御朱印




現在、建勲神社が鎮座する「船岡山」は、豊臣秀吉によって信長公の廟所と
定められた地で、平安京の四神相応の玄武に位置しており、境内からは特に
大文字山・比叡山方面の眺望が良いです。







                             つづく









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