~西へ~(100)12日目③ 山城国一宮 賀茂御祖神社(下鴨神社)Ⅲ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら


賀茂御祖神社に拝礼し、続いて、西側に鎮座します「三井神社」へ。

 

 本殿配置
 
             西社        中社         東社
         祭神:玉依媛命  祭神:建角身命  祭神:伊賀古夜日売命
諏訪社
祭神:建御名方神  
小杜社
祭神:水分神
白髭社
祭神:猿田彦神             拝殿

    

重要文化財 三井神社(みついじんじゃ) 寛永五年(1628年)造替
『風土記』山城国賀茂社の条に「蓼倉里三身社(たでくらのさとみつみのやしろ)」、延喜式に「三井ノ神社」とある神社です。
奈良時代から平安時代にかけて、このあたり一帯は蓼倉郷(たでくらごう)と呼ばれていました。
三身社(みつみのやしろ)とは、御本宮の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)とその妻、伊可古夜日売命(いかこやひめのみこと)、その子玉依媛命(たまよりひめのみこと)のことであり、三神が祀られています。
西側の末社は、平安時代の当神社社頭絵図『鴨社古図[かもしゃこず]』に描かれている神社です。
各社の位置などは現在なお変わりません。
これらの神社は、糺の森(ただすのもり)を禁足地とし、御社殿前の斎庭(ゆにわ)が葵草(あおいぐさ)と苔庭など自然の中に祀られる、古代神社の姿を伝える貴重な神社です。  -案内板より


   
  御手洗川(みたらしがわ)
 君がため御手洗川を若水にむすぶや千代の初めなるなむ(後撰和歌集)土用の丑の日にこの御手洗川に足を侵し疫病や病い封じを祈願して賑わう「足つけ神事」や立秋の前夜の「矢取の神事」葵祭「斎王(さいおう)代の禊(みそぎ)の儀」をはじめ、祓の神事が執り行われるところである。また、常は水が流れていないが、土用が近づくとこんこんと涌き出るところから京の七不思議の一つとされ、その様をかたちどったと云われるみたらし団子の発祥のところでもある。
輪橋(そりはし)と光琳(こうりん)の梅
 尾形光琳(一六五八~一七一六)が、このあたりを描いたのが「紅白梅図屏風(国宝)」である。以来、この梅を「光琳の梅」と呼ばれるようになった。 -案内板より


     

   
 井上社 別名 御手洗(みたらし)社(本殿の東側に鎮座)
祭神 瀬織津姫命
例祭 土用の丑の日
 この社の前身は、「三代實録」、元慶三年(879)九月二十五日の条をはじめ諸書に見える唐崎社である。
 賀茂斎院の御禊や解斎、関白賀茂詣の解除に参拝になった社である。
 元の社地は、高野川と鴨川の合流地東岸に鎮座のところ、文明の乱により、文明二年(1470)六月十四日焼亡したため、文禄年間(1592~96)に、この所に再興になり寛永度(1629)式年遷宮より官営神社となった。また、井戸の井筒の上に祀られたところから井上社と呼ばれるようになった。
 賀茂祭(葵祭)に先だつ斎王代の御祓の儀は、この社前の御手洗池で行われ、夏の風物詩土用の丑の日の足つけ神事、立秋の前夜の矢取りの神事はともに有名である。土用になれば、御手洗池から清水が湧き出ることで七不思議の一つにも挙げられ、池底から自然に吹き上がる水泡をかたどったのがみたらし団子の発祥と伝えられている。 -案内板より



     


     


     

 

 


        
         山城国一宮 賀茂御祖神社
             御朱印



祓社で、これまでの順調な旅のお礼をして、もう一つの山城国一宮へ。






                             つづく









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