~西へ~(99)12日目② 山城国一宮 賀茂御祖神社(下鴨神社)Ⅱ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら


回廊付きの楼門をくぐります。

     
  賀茂御祖神社由緒記          賀茂御祖神社境内図
御祭神
東御本殿 玉依媛命
西御本殿 賀茂建角身命
御神徳 
賀茂建角身命を「日本書記」「古事記」では、金鳶八咫烏として表し農耕をひろめ民生の安定に努められた御功績を伝えているところから世界平和・五穀豊穣・殖産興業・病難方厄除けなど他方面に御神徳を顕しておられる。
御子神であられる玉依媛命は、「風土記」山城国逸文に婦道の守護神・縁結び・安産・育児さらに水を司る神として御神威を伝えている。
創祀
日本書記 神武天皇2年(BC658ごろ)条に当神社の御祭神賀茂建角身命を奉祭していたことが記されている。また当神社の最古の祭りである御生神事(現在の御蔭祭)が綏靖天皇の御代(BC581ごろ)に始められたこと、崇神天皇7年(BC90ごろ)瑞籬の造替、垂仁天皇7年(BC29ごろ)御神宝が奏られたこと、成務天皇のころ(131ごろ)神官に鴨県主の姓を賜るなどの所伝によって二千年以前に創始されたとされている。
社名
正式名称の賀茂御祖神社の「かも」は、古代の国名であり、文字も「鴨」のほか様々に用いられていたが大宝年間のころ(700ごろ)から「賀茂」となった。また地勢的にみて鴨川の下流にまつられているところから下鴨神社と通称で親しく呼ばれるようになった。
社殿及び境内
全域が世界文化遺産に登録されている。
東西両本殿二棟は国宝。幣殿、出雲井於神社等五十三棟が重要文化財のほか主要社殿十九棟。境内糺の森約十二万平方メートルは国指定の史跡となっている。
主な祭事
5月15日 葵祭、御蔭祭、流鏑馬神事、土用のうしの日 御手洗祭、立秋の前夜 夏越の神事、中秋 名月管弦祭、正月 歳旦祭、けまりはじめ、節分祭
名所旧跡
賀茂斎院御所旧跡 鴨社神宮寺旧跡 御手洗川 奈良の小川 瀬見の小川 泉川 連理の賢木 何でも比良木 切芝等
主な歴史
欽明天皇5年(544) 葵祭を始められる
白鳳6年  (677) 官営神社となる
延暦3年  (784) 長岡京遷都により告文
延暦12年 (793) 平安遷都により告文
弘仁元年  (810) 賀茂斎院の制
承和11年 (844) 当神社の四至制定
元慶4年  (880) 平安京大極殿完成により告文
天禄2年  (971) 関白賀茂詣定例の制
長元9年 (1031) 式年遷宮の制
承保3年 (1076)  行幸式日の制
応徳3年 (1084) 院・上皇・法皇御幸の制
治承3年 (1179) 参籠御幸の制、等々     -案内板より


     
 解除所(天皇が行幸の際、お祓いをする場所)
 媛小松(葵祭や御蔭祭のときに奏される歌舞の中で、「ちはやぶる 鴨の社の
       ひめこ松 よろずよふとも 色は変わらじ」(藤原敏行)と歌われた)



     




     

中門をくぐり、拝礼いたします。




 拝殿



御簾を通して拝礼しました。


 
 



 舞殿、中門、拝殿、本殿と美しい屋根が並びます。





                             つづく









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