近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
膳所城址公園のすぐ近くにある「膳所神社」に到着です。


こちらの神社の表門は、旧膳所城の本丸大手門の移築です。


膳所神社 (左)
一.祭神
豊受比売命
一.例祭日
五月三日
一.由緒
社伝によると天智天皇の大津の宮に遷都の際、この地を御厨所と定められた。天武天皇六年に大和の国から御食津神を奉遷して大膳職の御厨神とされた。
慶長年間に至り大政所豊臣秀頼徳川家康などが当社を厚く尊信されて種々の神器の寄進があり東山天皇は膳所大明神の宣下をされました。
また、慶長六年膳所城創始以来、歴代の藩主本多候は崇敬が厚く、社領の寄進や社殿の造営がたびたび行われました。
現在の当社表門は旧膳所城の城門で重要文化財に指定されています。
-案内板より
重要文化財建造物 (右)
膳所神社表門 一棟
この表門は、旧膳所城の二の丸より本丸への入り口にあった城門で、明治三年(一八七〇)の膳所城取り壊しの際に移築されました。
門は、棟筋と扉筋が同一の垂直面にない薬医門(やくいもん)で城門として多く用いられています。屋根瓦には旧膳所城主本多氏の立葵紋(たちあおいもん)がみられ、桃山時代の建築として貴重なものです。脇には潜り戸を付け、頑丈な造りで、城門としての貫禄を持っています。
大正一三年(一九二四)四月に重要文化財に指定されました。
平成五年(一九九三)三月 大津市教育委員会 -案内板より

表門(膳所城の本丸大手門を移築)


表門(境内側から見る)

拝殿(入母屋造 間口三間二尺 奥行四間)


本殿

随垣内の本殿(一間社流造 間口一間二尺 奥行一間四尺 )

北門(旧膳所城城門・薬医門様式)

境内側から見た北門


南門(旧膳所城城門?・高麗門様式)
膳所城跡には、ほゞ往時の様子を残すものはなかったですが、
こうして多くの建造物(門)が移築され、残っている事に感謝です。
つづく
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