近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
本日5社目、膳所城現存構造物「門」移築神社4社目は、
京阪電鉄中ノ庄駅の近くにある「篠津神社」です。


こちらには、旧膳所城の北大手門が移築されています。


大津中庄鎮座 (左)
篠津神社
一.祭神 素戔嗚尊
一.例祭日 五月三日
一.由緒
当社は古くは牛頭天王と称し膳所中庄の土産神です。創建は詳ではないが康正二年の棟札が現存している処から見ても室町時代には己に鎮座になっていた。大津圓満院門跡常尊法親王や覚淳親王、有栖川宮家の御尊崇高く鳥居や額等種々寄進されている。膳所城主戸田、菅沼、石川諸氏並びに本多家の崇敬長く続き社領二十二石の外、社殿の修復も本多家で時々行われた。現在重要文化財に指定されている表門は膳所城北大手門で旧藩主の信仰をしのぶよすがとなっている。
明治四年篠津神社と改称、旧社格は県社であった。
平成六年一月一日 -案内板より
重要文化財建造物 (右)
篠津神社表門 一棟
この表門は、旧膳所城の北大手門として建てられたもので、明治三年(一八七〇)の膳所城取り壊しの際に篠津神社に移され、翌々年に建てなおされたものである。
門は高麗門(こうらいもん)様式で屋根は本瓦葺きとなっており、旧膳所城主本多氏の立葵紋(たちあおいもん)がみられます。扉は内開きで、堅格子(たてごうし)、腰部横板張りとなっており、脇門を付けています。
この高麗門という形式は、背面に特色があって、正面の主体部から両方に袖のように直角に屋根が出ているものをいい、この形式は城門にも多く用いられています。
この門も桃山時代の城門の一つで、大正十三年四月に国の重要文化財になりました。
平成三年二月 大津市教育委員会 -案内板より

篠津神社表門(旧膳所城 北大手門)

境内側(こちらの瓦も勿論「立ち葵」です)

拝殿(入母屋造 間口三間 奥行三間)

本殿(一間社流造 間口二間 奥行二間)を囲む随垣と中門

本殿(膳所城主 本多俊次公 万治四年(1661)造営)

日本建築の美(右手前は手水舎の屋根)


篠津神社 御朱印
つづく
当ブログの無断使用は禁止です。
メッセージにて確認をして下さい。その上で、
文章引用・画像使用の場合は出典元URLを明記して下さい。