近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
建部大社から西へ、琵琶湖から流れ出る唯一の川「瀬田川」を渡るとすぐの
「御霊神社」にやってきました。


ご祭神:大友皇子(弘文天皇)
御由緒
明細書によれば創祀年代不詳であるが、社伝によると、壬申の乱後三年目の白鳳四年大友皇子の第二子興多王の指図により隠山に皇子の神霊を奉斎し大友宮または御霊宮と称した。これが当社の創祀とされている。その後寿永三年の木曽義仲と源範頼の戦斗・承久三年の鳥羽上皇軍と北条時房軍の戦い、建武三年の後醍醐天皇軍と足利尊氏軍の戦い、応仁の乱などたびたびの戦いの都度社殿および社務所並びに旧記などは兵火に罹り、元禄年間にも社殿を改築し竣工間もなく焼失しているので古い文書等の存するものなく創建鎮座など上代の詳細については不明である。徳川時代には膳所藩よりも格別の崇敬があり神領田を賜わり現在城門が移設されている。又大友皇子がこの地で崩御された忌日が旧暦の七月二十三日であったのでこれは新暦の八月二十四日に当るのでこの日に青年会が中心となり千灯祭を斎行している。
-滋賀県神社庁Webより


拝殿先の石段脇には狛犬が鎮座しております。


石段を上がり、中門まで行き、拝礼します。

本殿(一間社流造 間口二間四尺 奥行三間)

この神社には、この後登城予定の膳所城の
「本丸黒門」が移築されております。


大友宮の社号額の掲げられた鳥居の先に移築されてました。


神門(膳所城 本丸黒門)
高麗門
構造:両軒袖に頑強なる扉を備え木造瓦葺古風豊である。
大きさ:間口三間一分 奥行二間六分
沿革:明治四年膳所藩廃止にともなう城解の際、藩主よりお倉門と呼ばれたものを寄附せられ此処に移した物である。
特長:慶長年間膳所城造営当時の古建築物で文化財と謂はれるものである。
鳥居川 御霊神社 -案内板より

黒門と云われていたので、往時は黒金で覆われていたのだろう。

立派な社務所がございましたが、無人でした。
つづく
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