~西へ~(88)11日目① 近江国一宮 建部大社Ⅰ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら





近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~の旅も11日目に入りました。

     

本日最初の地は、「近江國一宮 建部大社」でございます。



一の鳥居をくぐり、二の鳥居横にある駐車場に停め、歩き出しました。


 イラスト:添田一平

    
  近江国一の宮 建部大社
 御祭神
本殿 日本武尊
相殿 天明玉命
権殿 大己貴命
  由緒
 当社は近江国の一の宮と称えられ、景行天皇46年(西暦316)4月、神崎郡建部郷千草嶽に、日本武尊の御神灵を建部大神としてお祀りしたのが創りである。
 天武天皇白鳳4年(675)4月に近江国府のあった瀬田の地にお迂し、此の国の守護神として仰ぎ奉られる様になった。天平勝宝7年(755)には、孝徳天皇の詔により大和一の宮 大神神社から大己貴命を勧請し権殿に奉斎せられ現在に至っている。
 例大祭 4月15日
 船幸祭 8月17日       -案内板より


*孝徳天皇の在位は645年~ 654年なので、この由来は???


参道脇には「ヤマトタケルの物語」の絵看板がありました。


 一、ヤマトタケルの西征 
ヤマトタケルノミコトは父(第十二代 景行天皇)の御子:小碓命
(オウスノミコト)として生まれます。父はオウスノミコトに
朝廷に従わない西国の九州・熊襲建(クマソタケル)兄弟を征伐
するよう命じました。
熊襲建兄弟の館を見つけたミコトは、女装をして熊襲の女たちに
混じり宴に紛れ込み、熊襲兄弟が酔ったところで、忍ばせていた
短剣で熊襲兄弟を討ちました。熊襲兄弟を討った事から強者の
称号である「タケル」の名をもらい、日本武尊(ヤマトタケルノ
ミコト)の名で呼ばれるようになりました。



 二、ヤマトタケルと草薙の剣 
西国征伐から戻ったヤマトタケルノミコトに景行天皇は東国征伐
を命じます。途中、伊勢神宮に立ち寄り叔母のヤマトヒメから
神剣:天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)と、火打具を授かり
ました。駿河の国に達したミコトに国造(クニノミヤッコ)たち
は「沼に住む荒ぶる神に困っております」と、野に誘い出され
四方から火を放たれました。退路を断たれたミコトは、
ヤマトヒメから授かった神剣で草をなぎ払い、火打具で向かい火
を放って野火から脱出します。後に火で焼いた事からこの地を
焼津(やいづ/静岡県)といい、草をなぎ払った神剣は草薙の剣
(クサナギノツルギ)と呼ばれるようになりました。



 三、后・オトタチバナヒメの入水 
更に東へ進んだヤマトタケルノミコトは、次に相模の国から船で
海路を進み上総の国へ渡ろうとしました。しかし、海が荒れ船を
進めることが出来ずにいると、同行していたオトタチバナヒメが、
「私が海に入って海の神を鎮めましょう」といって自ら荒波に
身を投じたのです。すると、たちまち荒れ狂っていた海は静まり、
無事に対岸に着くことができました。



 四、ヤマトタケルと伊吹山の神 
東国を平定し尾張の国に戻ってくると、今度は伊吹の山に悪い神
がいると聞きつけたヤマトタケルノミコトは、神剣:草薙の剣を
ミヤズヒメに預けて征伐に向かいました。
伊吹山を登る途中、牛ほどの大きな白い猪に出会い
「これは山の神の使いだな!帰り道で相手になってやろう!」
と大きな声で威嚇してやり過ごしました。
すると突然激しく雹(ひょう)が降り出し行く手をはばまれます。
実は白い猪は神の使いではなく、山の神だったのです。
怒りを買い雹に打たれて衰弱したミコトは、やっとの思いで山を
脱出し故郷の大和の国を目指します。



 五、ヤマトタケルと白鳥伝説 
大和の国を目指し歩き続けたヤマトタケルノミコトは、
「足が三重(ミエ)に曲がり固い餅のようだ」と歎いた事から
その地を三重(みえ)といわれるようになりました。
更に体調を悪くしたミコトは国しのびの歌を詠みます。
「倭は国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる倭しうるはし」
と詠み、伊勢の能褒野(三重県鈴鹿市)でついに力尽き息を引き
取ります・・・妻や子供たちが駆け付けると、ミコトの魂は白鳥
となり能褒野から河内の志紀(大阪羽曳野)へと飛び立ちました。
今も白鳥伝説として語り継がれています。



このように神話に触れる事の出来る参道を進みました。






                             つづく









                当ブログの無断使用は禁止です。
                      メッセージにて確認をして下さい。その上で、 
                      文章引用・画像使用の場合は出典元URLを明記して下さい。