~西へ~(78)10日目② 奈良県護国神社Ⅱ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら





奈良県護国神社の境内を散策します。

  

 慰霊碑

  
 満蒙開拓団青少年義勇軍殉職者慰霊碑
  碑文
この碑は 奈良県送出満洲開拓犠牲者の偉業を讃えその霊を慰めるため広く県民の参加を得て建てたのである
満洲事変後国策の根幹として満洲政策の重要な基盤をなしたのが満洲開拓で本県からも満洲開拓青少年義勇軍に 開拓団に 報国農場隊に 約3千数百名が渡満した 右手に鍬左手に銃度々の匪襲を退けて開拓に国境警備に或は軍の協力部隊として奉公に専念した
然し 終戦は我々開拓者には特に残酷の極みを体験させた  無一物の逃避行 衣食なく医薬なく次々に斃れた 凍死した 隊員は自決した 捕虜で死んだ その数千2百名 開拓関係の諸問題は未解決のまま今尚迎えられる事なく酷寒の異境に居る 我々も肉親も忘れることは出来ない止むに止まれぬ同志は 兄等を迎える安らぎの場として最良の地を選んだ どうぞ還って永眠されよ 我々は衷心より感謝を捧げその功を永久に残したい 真の平和の守護神となられんことを
昭和四十七年十一月吉日建立  奈良県拓友会

          
奈良県出身陸海軍戦没者合同慰霊塔(左)    
  碑文
明治建軍以来日本民族の発展と国家の隆盛を祈念しつつ日夜軍務に精進し生を捨て義をとる崇高なる犠牲的精神
また旺盛なる責任観念と不橈不屈の精神力を陶冶し日清日露の両戦役をはじめ幾多の危機に国家のため挺身して
その難に当たる
ことに第二次世界大戦においては世界列強の包囲に抗し南方諸民族を解放独立せしめんと炎熱身を灼く大陸の山
野に酷寒肌をも凍らす北辺に怒涛うず巻く南海に各地で奮戦日本精神に生き悠久の大義に殉ぜんと後に続くを信
じつつ御国のため雄々しく散華せらる
この至誠至純の精神こそ何よりも尊いものであり今日この日本の平和と繁栄をもたらしたのはその血潮の結晶の
たまものであり千載青史に銘記すべきである
ここに建軍以来の奈良県出身陸海軍戦歿者二万九千百十柱の御霊を顕彰するとともにその遺勲を末永く後世に伝
えんがため県内外有志一万三千余名のご芳志と8百余名の建設委員の尽力によりこの慰霊塔を建立す
願わくは在天の諸英霊安らかにこの高円の丘に鎮まり給いて永久に世界平和と国家の隆盛にご加護あらんことを
 昭和五十二年十月吉日  奈良県出身陸海軍戦歿者合同慰霊塔建設委員会 -石碑より


 歩兵第百五十三連隊 ビルマの塔 (右)
  碑文
第二次世界大戦のビルマ戦場において祖国の為に尊い生命を捧げられた兵士の御霊をまつる ゆかりの塔
 昭和五十六年三月 歩兵第一五三連隊有志並に篤志家 建之 -石碑より


 

手書きの碑に心が温まります。

              
                   先帝三代 御製

   

境内を清掃されていたお婆ちゃんと少し話をして、次なる地を目指しました。



    
   奈良県護国神社 御朱印


全ての兵者に敬意を表しますと共に、英霊の御霊に感謝の誠を捧げます。





                             つづく







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