~西へ~(77)10日目① 奈良県護国神社Ⅰ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
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空の青が夏色から秋色になってきた10日目です。

   

本日最初は、奈良県護国神社に参拝です。

     
  奈良県護国神社
 御祭神
明治維新以来大東亜戦争までの国難に殉ぜられた奈良県出身の英霊三万柱の英霊を祀る
 維新戦争・西南役 一一九柱
 日清日露戦争   九0三柱
 世界大戦満州事変 一一九柱
 大東亜戦争  二八0六八柱

 戦国時代の油山城址と古戦場
境内にあった油山城は、戦国初期に古市一帯を支配した。
豪族古市氏の本拠の古市城(現古市小学校)の支城で油山氏の居城であった。
古市氏と筒井氏の宿命的な抗争で、この油山城も1520年に筒井氏軍勢に攻められ落城し、この戦で古市公胤は討死にした。
油山の字名が残る。

 古市古墳群
池の中にある島は古墳である。
境内と周辺に現存の古墳が五基と、消滅した古墳九基の計十四基が確認されている。
この地域は五世紀・六世紀の古代豪族である小野氏の拠点とされ、これらの古墳群は小野氏の墳墓とされる。
小野氏は皇室から別れ、ほぼ全国に支配地を持ち、多くの皇后や奴を輩出した和雨氏の一族で、後の世の飛鳥時代には小野妹子や、平安時代の名筆家の小野道風や絶世の美女とされた六歌仙の一人小野小町など多くの偉人を輩出した。
特に古市方墳は四百年前後頃の築造で鏡が五面・鋳物・勾玉などが出土しており、神功皇后の朝鮮出兵と時刻が重なる。

 山の辺の道 北道
奈良盆地東部の春日山山系の山麓を南北に連なる古道で、一般に石上神宮じんじゃ以北を山の辺の道北道と呼ぶ。
北端から若草山・御蓋山・春日山と連なる。
続いて高円山が位置し石上神宮の鎮まる布留山に至る。
この青垣の山並みに、大和青垣国定公園に指定され、まほろばの情景をかもし出している。
古来、この古道には多くの壮絶な戦乱事変が、様々な男女の愛憎が織り成すドラマが去来した。
道筋には国家創成期からの宮址、古社、古刹、巨大古墳・遺跡が存在しており、多くの事蹟や物語り、更には約百五十首の万葉歌が詠まれ語り継がれて、現代に生きる私達は無限の恩恵をこうむっている。 -案内板より


    

 万葉の古地であり、大和盆地が一望されるこの景勝地(一万五千坪)に、
昭和十七年九月、全県民挙げての奉仕により荘厳なる社殿が完成した。
同年十月十三日奈良県護国神社と称せられ、同年二十二日鎮座祭を斉行、
三千柱の御祭神が祭祀された。
                      
その頃より大東亜の戦局は一段と苛烈なものとなり戦没者は日を追って
増加、合祀祭神は年毎に増えていった。
その戦没地は厳寒の大陸そして灼熱の南の島と全戦線にわたっている。


奈良県護国神社では、これらの戦没英霊の「みたま」安かれと、
日々祭祀を厳修し、御神徳発揚に努めている。
-山の辺の道「奈良道」より


 玉垣に囲まれた社殿


 拝殿

        
                拝殿の前には立派な鬣の狛犬


 拝殿ない

 
  青龍       白虎            朱雀        玄武



全ての兵者に敬意を表しますと共に、英霊の御霊に感謝の誠を捧げます。







                             つづく







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