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紀伊国総社(推) 大屋都姫神社からもう一つの推定神社「府守神社」に。

由来
貞観17(875)年、此の地におかれた紀伊國國府の鬼門の守護神として鎮座、中古白鳥の宮とも聖天宮とも称した。
明治以後旧名の府守神社に復したが、拝殿正面には聖天宮と記されている。
明治10年6月22日村社に列す。
『紀伊続風土記』(巻之九・直川荘府中村)に依れば、「村中平林といふ所の東にあり 按するに本國神名帳に從四位上府守の神あり 三代實録に貞觀十七年奉授 紀伊ノ國從五位下府中ノ神ニ從五位上ヲ とあり 府守ノ神府中ノ神は一にして國府を守り給ふ 神と聞ゆれは當社若くは此神にやあらん 三代實録石見ノ國に府中ノ神あり天慶七年筑後諸神記に郡主神といふあり 社地古く廣大にして處の氏神と崇むるは此故ならん 中古浮屠氏盛にして聖天なといふ名を設けて佛に引入れたるなるへし 又觀喜天の祭禮といふ事を聞さるに此神には祭禮ありて六月廿八日九月五日古より定り來りたる由なれは決して府守ノ神にして聖天にはあらさるへし當社の西に天王森といふ」とあり。
また大正15年5月海草郡役所発行による『海草郡誌』には、「紀伊村大字府中字森脇に鎮座す 本國神名帳に從四位上府守神、三代實録に紀伊國從五位下府中神等とありて、府守神、府中神は同一で倭武命を祀る 國府の地であった為府守の神或は府中神と唱へ奉ってゐたのを、中世佛徒の妄説に依って聖天宮と改稱した それを維新後舊號に復して府守神社といふに至ったのである 明治十年村社となる」とある。
近年當地方の開発が急速に進み行く中、将来に向けますます紀伊國國府の所在地の解明が困難になるであろうが未知なる遺跡探究のため、和歌山市が當府守神社の境内に昭和63年に再建した「紀伊國府跡」と題する標柱に記した一文を終りに紹介しておく。
「ここは昔の名草郡直川荘のうちで府中の名は國府の所在地を語るものである 國庁の跡は、こんにちどこともわからなくなっているが、集落の東北に府守神社(府中神社)があり、付近の田井の北村には総社明神もあったよしで、この地が國府の所在地であったことを告げている」 -和歌山県神社庁Webより

ご祭神は、
倭武命 (やまとたけるのみこと) で、ございます。
「中世諸国一宮制の基礎的研究」(中世諸国一宮制研究会)によると
紀伊国総社であるというが、どうなんだろう。境内は結構広いが。
昼らーが不完全燃焼だったので、昨日聞いた店2軒目に行ってみる事に。

丸高中華そば 六十谷店(市立和歌山高等学校の近く)
和歌山のラーメン屋には、「早寿司」と「巻寿司」はお約束のようだ。
待っている間に食してみたが、普通な〆鯖寿司でした。
そうこうしていると着丼。こちらの麺も至って普通な低加水中細直麺だが、
少しカタで上がっており歯触りもスープとの相性も良い。
で、スープ。嫌な臭いなく旨みはタップリだが重くはない。中々だ。
前に出ている醤油もイイ感じ。チャーシューは、中盤だが10枚ほど乗り、
良いのは他店と違い薬味のネギが多いこと。豚骨スープに合っている。
難点は少しヌルイ事だが許容範囲。和歌山ラーメン、4軒まわりました。

早ずし

チャーシューメン
取り敢えず、和歌山ラーメンに納得して旅泊地へ。
本日の旅泊地は「八咫烏」が居る、
紀ノ川SAです。

第8日目終了
本日の走行距離 109km
つづく
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