近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
式内社(名神大)、紀伊国一宮で、旧社格は官幣大社。現在は、
神社本庁に属さない単立神社の「日前神宮 国懸神宮」に拝しております。
境内社にも参拝いたします。


天道根神社(摂社)
祭神:天道根命(あめのみちねのみこと)
御由緒:
天孫降臨の時、天道根命は二種の神鏡とともに従臣として仕え、神武天皇二年春二月、紀伊國を賜り初代國造職に任命されました。
紀氏は天道根命の末裔にあたり、歴代に渉り國造職を受け継ぎ明治十年三月二十一日には官命を以て日前國懸両神宮の摂社として定められました。


中言神社(摂社)
祭神:名草姫命(なぐさひめのみこと) 名草彦命(なぐさひこのみこと)
御由緒:
祭神である名草彦命は、天道根命を初代國造にして五代目にあたり、また夫婦神として名草姫命と御一緒に中言神社として奉祀されております。名草郡の地主の神として崇敬され、『紀伊続風土記』には名草郡だけでも中言社と呼ばれた神社が十二社もあった程で、同郡では最も多い神社であったと伝えられております。
明治十年三月二十六日官命を以て日前國懸両神宮の摂社に定められました。

深草神社(末社)
祭神:野槌神(のづちのかみ)
御由緒:
祭神の野槌神はイザナキ・イザナミ二柱の大神の御子にして、草や野に関するすべてを司り、守護する神であります。
古来より神の使いとしての「牛」と信仰を結び、野草を食むことからくさ(人体の腫物)を食むという「病気平癒」の高い御神徳があります。

邦安神社(末社)
祭神:松平頼雄命(まつだいらよりかつのみこと)
御由緒:
御祭神の松平頼雄公は紀州藩支藩の伊予西条藩の世継ぎでありましたが、お家騒動で廃嫡の憂き目にあうと不遇の生活を強いられていました。そこで、紀州藩々主で従弟であった徳川吉宗公は頼雄公を紀州へと移され、ここに紀州徳川家と頼雄公の御縁が始まります。
その後、吉宗公が将軍となり紀州を去ると再びその地位を追われることになった頼雄公は、51歳で非業の最後を遂げられました。
やがて和歌山城内に頼雄公を祀る神社が創建され、代々徳川氏によってお祀りされていましたが、幕末の混乱期に日前宮へ御遷座されました。(現社殿は平成25年正月再興)

市戎神社(末社)
祭神:蛭子神(ひるこのかみ)
御由緒:
『旧記』(くき)によると、市戎神社はかつて境内の外にお祀りされていた庭外社で、江戸時代の享保6年に境内に御遷座され日前宮末社となりました。もともとこの社の近くで「市」が立ち非常に賑わったことから、次第に市のえべっさん・市えびすと呼ばれるようになり、往時は新内(あろち)から芸者衆の「宝恵かご」が出て、たいそうな賑わいであったようです。

松尾神社(末社)
祭神:大山咋神(おおやまくいのかみ)
中津島姫命(なかつしまひめのみこと)
御由緒:
京都洛西の総氏神である松尾大社から分社され、当宮の末社となりました。特に醸造の祖神として特別な崇敬を受けており、毎年十一月には「松尾祭」が厳かに斎行されております。

神楽殿

紀伊國一之宮 日前神宮 國懸神宮
御朱印
最も歴史のある神社の一つで、朝廷は(伊勢神宮と日前・國懸両神宮のみ)
神階を贈らない別格の社として尊崇しました。
このような神社に参拝する事が出来て、本当に感謝です。
つづく
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