~西へ~(60)8日目② 宝来山神社 | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら


和歌山の街に戻り「めし」でも食べようと、山を下り国道に出ると、

 

「宝来山」神社の看板。何となく行きたくなり、国道を離れました。



朱色の鳥居の社号額には、
正一位勲八等 日本第一大福田 寶来山大明神と標されています。

    
 かつらぎ八景 宝来山神社 (本殿4棟重要文化財)
光仁天皇宝亀二年(771)和気清麿が八幡宮を奉祭したのに始まり、
後高尾山神護寺の僧文覚上人が社殿を造営。元亀・天正の頃、織田信長の兵火に炎上、
慶長十九年(1614)再建。大工藤原朝臣、大薮義次甚左ヱ門、折居村新左ヱ門の指揮で建立。
昭和48年10月創建1200年奉祝大祭を斉行。 -案内板より


   
 ご由緒
社伝によれば、宝来山神社の創建は宝亀(ほうき)年間(770~780)に和気清麻呂公(733~799)が八幡宮を勧請し、八幡山と呼ばれるようになったのが始まり、とされています。
当社が鎮座するこの地は、桛田荘(かせだのしょう)と呼ばれていました。桛田荘が京都高雄にある神護寺(真言宗)の荘園になるのは、寿永2年(1183)のことです。その頃の景観を描いたとされる2枚の桛田荘絵図(いずれも重要文化財)が、神護寺と当社とに残されています。
この絵図には「八幡宮」と「堂」とが描かれ、その後身とされる当社と神願寺とが、現在も同じ境内に隣接して建っています。
神願寺は、鎌倉時代に活躍した僧である文覚上人が熊野からの帰りにこの地を訪れ、創建したとも言われています。
神護寺は、桛田荘を重要な荘園の一つとして位置づけ、当社の保護にも当たりました。しかし、全国的な戦乱が起こる戦国時代には、神護寺が遠隔地にある桛田荘を支配することが困難になり、桛田荘周辺が高野山の荘園であったこともあって、桛田荘は高野山との関わりを深めていきました。
それには、桛田荘東村に居住していた土豪で、高野山の福蔵院(現在の巴陵院)との関係が深かった是吉(これよし)家が関わっていました。創建当初、八幡宮と呼ばれていた当社が、いつごろからか宝来山神社と呼ばれるようになったかは明らかではありません。
ただ、大永5年(1525)の年紀のある当社所蔵の古文書(福蔵院旧蔵)には、「是吉大明神」とともに「宝来山大明神」と記されており、桛田荘が高野山との関わりをもつなかで、当社も宝来山大明神社(宝来山大明神)と呼ばれるようになったと見られます。天正8年(1580年)の年紀をもつ当社所蔵の太刀にも、「宝来山大明神」の銘がみえます。
江戸時代の初め、是吉家の当主であった是吉(?~1614)は、当社の再建に尽力しました。棟札から、慶長19年(1614)に現在の本殿四社(重要文化財)が建立されたことが分かります。
また、末社東殿・西殿(和歌山県指定文化財)は、17世紀半ばの建立とされています。このほか、当社には元和5年(1619)の銘のある湯立釜、寛永元年(1624)の扁額、江戸時代の棟札や古文書など、宝来山神社の歴史を物語る宝物が多く残されています。 -宝来山神社公式Webより


          

(主祭神)八幡大神 菅原大神  猿田彦大神 大山祗大神 
(配祀神)大國主大神 素盞鳴大神  蛭子大神 少彦名大神 
     市杵島姫大神 稲荷大神  外46神


 拝殿


 
拝殿の先には、石垣が組まれ一段高くし随垣に囲まれた本殿が見えます。


 本殿 桃山時代の建築様式・慶長19年甲刀の年3月27日付の棟札あり
  第一殿~第四殿は、ともに一間社春日造檜皮葺
 (昭和18年6月国宝、昭和25年8月重要文化財指定)
 末社脇殿 宝永乃至享保年間の頃に造営
  東西ともに二間社造檜皮葺

    
    弁財天社と皇太子徳仁親王殿下行啓記念植樹


社務所は無人で御朱印を頂くことは出来ませんでしたが、
「八幡大神」を主祭神とする神社に拝すことが出来て良かったです。


  
  中々知らない「服喪期間」についての案内板がありました。






                             つづく







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