近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
天守丸に到着です。

浅野家時代、虎伏山の西峰に黒板張の天守閣を築城。 三層の大天守から
時計回りに多門、天守二之御門(楠門)、二之御門櫓、多門、乾櫓、多門、
御台所、小天守へと続く連立式天守です。

寛政十年(1798)には、十代藩主徳川治宝により白壁の天守となりますが、
弘化三年(1846)の落雷で焼失します。御三家ということで特別に認められ
嘉永三年(1850)に再建され、昭和十年(1935)国宝に指定されますが、昭和
20年7月9日の戦争犯罪の無差別和歌山大空襲で焼失。
昭和33年に鉄筋コンクリートで外観復元されました。

天守閣
和歌山城天守閣は、大天守、小天守、乾櫓、二の門櫓、楠門を多聞によって連結させた連立式天守閣である。
各層の屋根には唐破風、千鳥破風を交互に配し、上層階には物見のための高欄をめぐらし、大天守の隅には石落としを設けるなどと、江戸初期頃の様式を残している。
とくに、和歌山城天守閣の特徴は、ひし形の敷地に左右され、乾櫓(北西)と大天守(南東)が張り出し、城下の北東と南西からの姿に雄大さを増すように工夫されている。
現在の天守閣は、昭和二十年七月に戦災で焼失した天守閣(国宝)を昭和三十三年十月に鉄筋コンクリート造りで復元したものである。 再建年月日昭和三十三年十月一日
天主台面積 二、六四〇平方メートル
大天主閣高 二三.四二メートル
(海抜七二.三二メートル) -案内板より


連立式天守西側 多聞櫓 天守二之御門(楠門)

連立式天守北側 帯曲輪(西から見る)

連立式天守北側 帯曲輪(東から見る)
石垣に埋門。奥に乾櫓


古図には記載のない新裏坂を下り、不明門跡へ戻りました。


日本100名城スタンプ
和歌山城(62)
つづく
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