近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
台風の進路は変わったようで、朝からイイ天気な5日目です。


本日最初に訪れたのは「熊野三所神社」です。


参道の途中には古墳がありました。

火雨塚古墳です。

火雨塚古墳(和歌山県指定文化財)
景勝地白良浜(しららはま)の北に位置する熊野三所(さんしょ)神社の境内に所在する。境内の御船山(みふねやま)の東麓にあり、直径約8メートル、高さ約2メートルの円墳で、埋葬施設は片かた袖式(そでしき)の横穴式石室で東南方向に開口している。板状岩石を積みあげ天井には2枚の板石を置き、玄室(げんしつ)中央に箱式棺(かん)を置く。出土遺物は須恵器(すえき)の蓋坏(ふたつき)、土師器(はじき)の壺と高坏(たかつき)などで、築造年代は出土遺物や様式からみて7世紀前半頃と考えられる。紀南地方における代表的な古墳として貴重である。
- わかやま文化財ガイドより

白砂がひかれ、眩しいほどの境内

一段高くなっている瑞垣と拝殿


ご祭神は、
伊弉册尊(いざなぎのみこと)
速玉男命(はやたまおのみこと)
事解男命(ことさかのおのみこと) で、ございます。

由来
創建は不詳である。
口伝によると、斉明天皇行幸地、斉明天皇腰掛石といわれる磐座に祭祀を始めたとされ、後に熊野三所権現を観請し、熊野三山への参拝に替へたといわれる。
神社には文禄4(1595)年9月に本殿の再建を示した棟札が残っている。
明治維新の神仏分離の動きの中で、明治元年、社名を熊野三所神社と改称した。
同6年4月、村社となる。
同40年4月、神饌幣帛料供進社に指定。
さらに大正3年2月に会計法適用社にも指定された。
紀元2600年記念事業として、昭和12年、境内整備拡充と社務所が新築された。
-和歌山県神社庁Webより

拝殿ない


覆屋付の本殿


玉座石(斉明石)
第三十七代斉明天皇御幸の砌御腰掛けなられた玉座の石
昭和三十五年十月十五日 熊野三所神社 -案内板より
つづく
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