~西へ~(36)4日目⑨ 樫野埼灯台 | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
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神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。


                     近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら





突端に建つ「樫野埼灯台」に到着です。

 
 樫野埼灯台
明治3年(1870)6月初点灯で石造り・閃光灯の灯台として日本最古ものである。
設計と建設指導はイギリス人技師ヘンリー・ブラントンよっておこなわれた。
灯台まわりに群生する水仙は、外国人技師たちが異郷での孤独な生活を慰めるために、本土から取り寄せ、移植したといわれている。 -案内板より


 

  樫野埼灯台旧官舎 (国登録有形文化財)
 紀伊大島の東端に位置する樫野埼灯台の旧官舎。樫野埼灯台と旧官舎は、イギリス人技師リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計により、明治3年(1870年)に建設されました。
 ブラントンは、明治元年(1868年)に来日し同9年に帰英するまでに、日本各地の灯台やその付属施設の建設を多く手がけましたが、樫野埼はその最初期のものです。灯台は昭和29年に大規模な改築が実施されましたが、官舎は当初の形態を比較的よく残しています。
石造平屋建、寄棟造<よせむねづくり>、建築面積162㎡。
現在、外装及び内装が補修され、内部の見学を行う事ができます。 
-串本町観光協会Webより

*なぜか?官舎ないは撮影禁止でした。

 

 樫野埼灯台
大島の東端、樫野の断崖に日本最古の石造り灯台が今も活躍しています。現在は自動点灯の無人灯台で内部は非公開であるが、ラセン階段を登り、遠くは太地町の梶取崎まで見通せる。また、園地内にはかつて常駐していたイギリス人技師が故郷を思い植えたと言われる水仙が今も群生しており、冬には可憐な花が咲き乱れ、あたりは甘い香りに包まれます。樫野灯台口駐車場から徒歩5分。(高さ10.20m、光度53万カンデラ、光達距離18.5海里) -串本町観光協会Webより





 行幸記念碑
(昭和天皇の樫野埼行幸(昭和四年))


 突端


灯台を見終わる頃から雨が降ってきました。 いよいよ台風か。






                             つづく







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