~西へ~(27)3日目⑩ 那智山 青岸渡寺 | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
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神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。


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熊野那智大社の隣り、那智山 青岸渡寺に。

 

 神社と寺院が隣接して建つという、熊野三山中もっとも神仏習合時代の名残りを残している那智。
 熊野那智大社は古くは「那智山熊野権現」「那智権現」などと呼ばれていました。
 現在、熊野那智大社という神社と那智山青岸渡寺という寺院が軒を並べていますが、かつての那智は神社と仏寺とに分離できるようなものではありませんでした。神と仏は渾然一体とし、区別できませんでした。
 那智山青岸渡寺は古くは如意輪堂と呼ばれ、那智権現は最盛期には7寺36坊を有し、熊野修験の一大本拠地となっていました。 
 しかし、明治の神仏分離令は、もともと一体であった神仏習合の霊地に、神か仏かのどちらか片方を選択するように命じました。本宮も新宮も神を選び、仏を捨て、寺院は取り壊されました。那智でも、神を選び、廃仏毀釈を行いました。いくつもの仏寺や坊舎が取り壊されました。那智権現は明治4年(1871)に「熊野那智神社」と称し、仏教・修験道を排した神社となりました。
 如意輪堂は、西国三十三所霊場の第一番札所でもあり、さすがに取り壊しはされませんでしたが、仏像仏具類は補陀洛山寺などに移され、空堂とされました。
 しかし、その後、山内の人々の願により明治7年(1874)、神社側から独立。「青岸渡寺」と名付け、天台宗の一寺として再興されました。 -み熊野ねっとWebより



 天台宗 那智山 青岸渡寺
青岸渡寺縁起
 当山は仁徳帝の頃(313-319)、印度より裸形上人が熊野の浦に漂着、現在の堂の地に庵を結んだのが始まりと伝えられている。
 その後、推古帝(593-628)の時、大和より生仏上人(しょうぶつ)が来山し、玉椿の大木をもって、現在の本尊(御丈約4m)を彫り、裸形上人感得の観世音菩薩を胸仏として納め安置す。のち推古帝の勅願寺となり、那智霊場の中心として熊野信仰を育んできた。従って、ご本尊如意輪観世音菩薩の霊験を受けんとして、日夜礼拝修行する者その数を知らず、又、天皇上皇の尊崇も深く、殊に平安時代、人皇65代花山上皇が滝の上の山中に庵を造り、3ヶ年ご修行の後、当山より西国三十三ヶ所観音霊場巡拝の旅に出られた。当時より長きに亘り巡拝の寺として親しまれている。当山は、古くより那智山如意輪堂と称していたが明治の神仏分離によってその形態が変り以来、青岸渡寺(せいがんとじ)と称するようになった。
 現在の建物は1590年(天正18年)豊臣秀吉公が発願再建されたもので、桃山時代様式の建物として、南紀唯一の重要文化財である。 -案内板より




青岸渡寺の現在の本堂は、織田信長の焼き討ちにあったのを豊臣秀吉が1590年に再建した桃山様式の建築で、南紀最古の建築物です。


那智山青岸渡寺本堂 1棟(附 厨子1基)重要文化財 明治三十七年指定。
桁行九間・梁間五間、一重・入母屋造、向拝一間、こけら葺。
天正十八年(1590)建立

       
(左)那智山青岸渡寺宝篋印塔1基 重要文化財 昭和二十八年指定。
蓮花付きの台座上に台石を置き、さらに蓮華座を造り、塔身を立て、
4面に蓮華座付きの月輪を線刻し、種子四字を刻む。
笠石の隅飾突起にも日輪を浮彫りし、梵字を入れる。
造立銘:元亨二年(1322)

     
      梵鐘 元亨四年(1324)造立

   
             熊野道への道しるべ

  
    平清盛公 熊野那智に参詣
平家の宰相・清盛公は、熊野那智に対する信仰深く、とりわけ如意輪観世音の霊力を願い時に永暦元年(1163)後白河法皇を那智に迎え初度参拝の折、その行列の伴として一族をひきつれ共に参詣し、如意輪の滝と云われる二の滝に於いて開運招福を願ったということである。(原文ママ) -案内板より
 *補足:永暦元年は西暦1160年、西暦1163年は長寛元年。

      
  三重の塔(西国三十三所観音巡りの第一番礼所)
この塔は、天正9年(1581年)に豪族の対立により、焼失してしまいました。現在の三重塔は、昭和47年、(1972年)400年ぶりに再建されたものです。再建された塔の高さは25m、一辺の長さ12m、各層は美しい格天井(ごうてんじょう)と板壁画で飾られています。塔三層に飛瀧権現の本地仏(ほんじぶつ)「千手観音菩薩」、塔二層に尼子十勇士(あまこじゅうゆうし)、山中鹿介(やまなかしかのすけ)の持仏堂(じぶつどう)の本尊であった「阿弥陀如来像」、そして塔一層には飛瀧権現、不動堂にまつられていた「不動明王」が安置されています。 -日本風景街道 熊野より

         
    那智滝:落差133m
   (一段の滝としての落差日本1位。総合12位。)


         
         那智山 青岸渡寺 御朱印


めし屋を探しながら駅周辺にきましたが、目ぼしい店はなし。
代わりに風呂がある道の駅がありましたので入浴。
風呂から出ると動くのが嫌になり、そのまま。



本日の旅泊地・道の駅 なち 車中泊


第3日目終了

本日の走行距離 217km




                             つづく







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