近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
熊野三山 熊野那智大社にきております。


和歌山県指定文化財 天然記念物 那智の楠(くす)
この樟は、樹齢800年と推定され、樹高は27m、幹回り約8.5m、枝の張りは南北に25mもあります。
県下でも珍しい樟の大木で、根幹部は空洞化しています。
熊野三山造営の勅使として参った、平重盛の手植えの樟と伝えています。
-案内板より
樟霊社胎内くぐり
この老樟は古来樟の精にあやかって樟霊社とし、又、
無病息災を祈り長寿を願って多くの人々に崇められています。
根幹部の空洞を通り抜ける「胎内くぐり」には備え付けの
「護摩木」に願意・氏名を記入し、これを奉持して胎内に入り
出口の護摩社に納めて下さい。
この護摩木は毎月十八日の権現講祭に炊き上げ祈願します。
護摩木初穂料300円 -案内板より


熊野三山の他の二社(熊野本宮大社、熊野速玉大社)では、明治の
神仏分離令により仏堂が廃されましたが、那智では観音堂が残され、
明治七年(1874)には青岸渡寺として復興しました。

神門の先には「青岸渡寺」


熊野那智大社の御案内
この地を「熊野」と申します。クマとは、「奥まった処」「隠れたる処」との意味があり、そこは「上座」であり「聖」なる地と位置づけています。「クマ」と「カミ」は同じ意味があり、「クマノ」は「カミの野」で神々の住まえる地といえます。
神倭磐余彦命はこの地に上陸され、八咫烏の案内で大和の地に着き神武天皇となられました。その時に那智の瀧を大己貴命の御霊代として祀られたのが那智山信仰の起こりと伝え、仁徳天皇五年(約1680年前)この地に社殿を建立したと伝えています。
古来、「日本第一大霊験所・根本熊野三所権現」那智山熊野権現と称し、御社名を「熊野那智大社」と申し、御祭神は熊野夫須美大神と申し上げ、日本で最初の女神「伊弉冉命」を主神とし十二柱の神々をお祀りし、全国に鎮座する約四千余社の熊野神社の御本社(熊野本宮大社 熊野速玉大社とともに)であり、熊野三山の一社であります。
重畳と續つく紀伊の山々の果て、全面に大海原が拡がる温暖の地は京洛より山川八十余里、往復一ヶ月を要し後白河法皇の三十四度・後鳥羽上皇の三十一度を始め数多くの人々が続々と熊野詣を為し、その様子を「蟻の熊野詣」と称しています。
御社殿は、熊野権現造りと称し正面五棟・側面一棟と御縣彦社・鈴門・瑞塀から成っており、往古、織田信長により焼き討ちに逢い、豊臣の代に再興し、享保・嘉永に修復し、最近では昭和九年の室戸台風の被害により解体修復が行われ、平成七年に国指定文化財となりました。 更に、平成十四年より檜皮の葺き替え・丹塗りの塗り替えを行い、御社殿及び境内域はこの度『紀伊山地の霊場と参詣道』として世界遺産に認定され、この那智山社域一帯は吉野熊野国立公園特別地域であります。
那智山 熊野権現 熊野那智大社 -案内板より

日本第一霊験所
熊野那智大社 御朱印
つづく
当ブログの無断使用は禁止です。
メッセージにて確認をして下さい。その上で、
文章引用・画像使用の場合は出典元URLを明記して下さい。