~西へ~(22)3日目⑤ 熊野速玉大社Ⅱ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
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神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。


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熊野三山の一つ、熊野速玉大社の神門をくぐり、神殿ないに入りました。

 

キレイな社殿は、昭和四十二年に再建されたそうです。



結宮、速玉宮が本殿とされており、先ずはその前に建つ拝殿に。



拝殿の額には「日本第一大霊験所 根本熊野権現拝殿」とありました。

   
 熊野速玉大社の御由緒
熊野速玉大社は、悠久の彼方、熊野信仰の原点・神倉山の霊石ゴトビキ岩(天ノ磐盾)をご神体とする自然崇拝を源として、この天ノ磐盾に降臨せられた熊野三神(熊野速玉大神・熊野夫須美大神・家津美御子大神を、景行天皇五十八年の御代(西暦百二十八年)初めて瑞々しい神殿を建ててお迎えしたことに創始いたしにいます。我々の祖先は、美し国熊野に坐しますこの真新しい新宮に大自然の恵みを献じて神々を斎き祀り、感謝と畏敬の心を込めて祈りを捧げながら、最も神社神道の特色ともいうべき清め祓いを実践してまいりました。このように、原始信仰から神社神道へと信仰の形を整えていった厳儀を、未来永劫にわたり顕彰し続ける精神をもって「新宮」と号するゆえんであります。この尊称は、、まさに熊野速玉大社が、天地を教典とする自然信仰の中から誕生した悠久の歴史を有することの証といえるでしょう。中世、熊野御幸は百四十度を仰ぎ代四十六代孝謙天皇【こうけんてんのう】より「日本第一大霊験所」の勅額を賜り、また千二百点を数える国宝古神宝類が奉納され、全国に祀【まつ】る熊野神社の総本宮として厚い信仰を集めております。また、境内には、熊野信仰の象徴たる「梛の大樹」が繁り、熊野神宝館や熊野詣を物語る「熊野御幸碑」などがあります。
特殊神事 二月六日お灯祭、七月十四日扇立祭、十月十五日・十六日例大祭・神馬渡御式・神輿渡御式・御船祭
  平成十六年七月七日 世界文化遺産登録   -案内板より



 拝殿ない


 拝殿を通して拝す本殿(熊野造り(切妻正面に庇がつく)

   
 新宮神社               熊野恵比寿神社

   
     熊野稲荷社


熊野三山 熊野速玉大社の御由緒
 熊野速玉大社は、第十二代景行天皇五十八年に、熊野三所権現降臨の元宮「神倉山」から、現社地に新たに宮殿を遷って遷宮したことから、旧社地に対して、現社地に新しく宮殿を造立したので新宮と号したと古書に記されている。
熊野三山 熊野速玉大社の御由緒
熊野速玉大社は、第十二代景行天皇五十八年に、熊野三所権現降臨の元宮「神倉山」から、現社地に新たに宮殿を造って遷宮したことから、旧宮の神倉神社に対して「新宮」と号したと言われています。御祭神は、熊野速玉男命(速霊雲)と熊野夫須美命(結霊宮)を中心に十二柱の神々を祀り、那智大社・本宮大社とともに、全国に祀る数千社の熊野神社の総本宮として仰がれています。
 第四十六代孝謙天皇の御世、「日本第一大霊験所」の勅額を賜り、第五十九代宇多法王に始まる歴代上皇女院の御親拝は、四百年の間実に百四十度におよぴ、これを世に「熊野御幸」といいます。
 過去世を救済し、現世の利益を授け、来世加護へと導く達玉大神の大神徳は、「滅罪と甦り」を説く熊野権現信仰として広く万民に受け入れられ、日本全土に熊野神社が祀られるに至りました。難行苦行の旅でありながらも蟻の熊野詣とうたわれるほど参詣が盛んとなり、今なお日本第一大霊験所・全国熊野神社総本宮として崇敬を集めています。境内には、熊野権現の象徴たる樹齢約千年の「なぎの木」が御神木としてそびえ、歴代の朝廷から賜った千二百点にもおよぶ国宝古神宝類ぼ、我国の至宝として一部を熊野神宝館にて展示しています。 -案内板より




        
              熊野三山
           熊野速玉大社 御朱印



次は、熊野三山元宮、現 熊野速玉大社 摂社の神倉神社へ向かいます。




                             つづく







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